団塊ジュニア以降の世代の政治の在り方などについて --- 宇佐美 典也

本日のブログは我田引水な内容でございます。


統一地方選のさなか4月25日に池田信夫氏などとニコニコ超会議に出させていただきまして(リンク先40分ごろから)色々と好き勝手叫ばせていただきました。

図1ニコニコ超会議

なぜあれだけ熱くなって未熟な主張をしてしまったのか、自分でもよくわからないのですが、統一地方選などを見て色々と改めて政治に付いて考えてる中で、行き場の無い不満というものが溜まっていたのだと思います。

良く「若年世代の政治離れ」だとか「投票率の低下」だとかが問題になっているわけですがその気持ちもよくわかるわけでして、やまもといちろう氏も書いていたように、我が国は人口減少社会の到来なりインフラの老朽化なり世代間格差の拡大なり起業の停滞なり長期的な社会問題が山積みにも関わらず、短期的な高齢者世代の社会保障の維持が圧倒的一番の政治マターになってしまっています。

そんな中で政治家が多少入れ替わったところで、この大きな政治の流れなど変わるべくもなく、「じゃオレらが選挙行ったって変わらないよな」となるのも結構自然な話だと思うわけです。

図2人口構造
(総務省資料より筆者作成)

背景にあるのはやはり人口問題でして、日本の人口構造は「団塊の世代」と「団塊ジュニア世代」の二瘤ラクダになっています。団塊の世代が定年を迎えて年金生活に入る中で団塊ジュニア世代はそれを支える立場を強いられておりまして、それ自体は仕方がないことなのですが「じゃあ俺らの老後は年金なり医療保険なりで保障されるの?」というと、団塊ジュニア以下の世代の人口は先細りなので当然そんなことは期待できません。

そうなると無責任に「じゃ、社会保障の税金なんて払うのやーめた」なんて言いたくなるところなのですが、そうすると野垂れ死にする老人が大量に出てしまうわけで、そのような社会を断絶するような主張を政治的に認められるわけもなく、方便として両方の世代の顔を立てる形で政治は「いやいや年金も医療保険も消費税を上げれば100年安心ですから」などと言う話をするわけです。

ただまぁ現実にはGPIFの運用も政府の財政試算もほとんど空想に近い運用利率と経済成長率とインフレ率を前提にしているわけで、結果として毎度財政再建は計画通り行かず、そのしわ寄せを食う形で財政赤字が途方もないスピードでつみあがっていくというのがこの20年間です。そしてこのお約束ともなった政治構造が打開される兆しは全く有りません。

図3国債残高
(財務省HPより)

つまり日本社会は団塊の世代と団塊ジュニアの間を走る巨大な世代間格差の溝を覆い隠す政治的方便に満たされ、甘い夢を見ながら破たんに向かって一歩一歩確実に向かっているわけですが、もはやそれを政治的に止める術は無いわけです。

では団塊ジュニア以下の世代は将来についてどう考えるべきなのか、ということについて私が思うのは「この際、もう日本の財政ー社会保障はいったんダメにならざるを得ない」という諦めの境地に立って戦略を立てることが必要なのではないかと思う次第です。

○日本の財政は徐々に危機を迎えインフレが起きて金融資産は当てにならなくなる

○老後の年金は満足な水準でもらえない

○地方のインフラは駆逐していく

というようなことを前提に、そういう日本で人生をどう楽しんで生き抜くか、と考えて布石を打っていくような、そういう政治的なアプローチが必要なんじゃないかと思っている次第です。

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こんなことを書くと「じゃお前は何するんだよ?」というツッコミが入ると思うのですが、確かに口でいってこんな場末のブログで書いているだけでもしょうがないわけでして、自分なりの第一歩としておときた駿と一緒に「あえて、政治を語ろう」なるサロンを立ち上げることにしました。

最低限の運営費として一応少しはお金をいただくわけですが別にココで儲けようと思ってはいません。半年なり一年なり活動する中で「団塊ジュニア以下の世代の政治哲学」というものを作り上げる場になってくれれば良いと思っておりまして、「このままなら日本は2025年頃どうなってしまうか」ということをテーマに色々な方を招いて知を集積して出版物など出せればと思っております。

そんなわけでご興味ある方は是非ご参加ください。

ではでは、長くなりましたが今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「宇佐美典也のブログ」2015年4月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のブログをご覧ください。