中韓が安倍首相に歩み寄り始めた --- 井本 省吾

5日付けの日本経済新聞に、興味深い記事が載った。

韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は4日、青瓦台(大統領府)の首席秘書官会議で、歴史問題で日本政府を引き続き追及するとしながらも「我々の外交は歴史問題に埋没せず、別の次元の目標と方向を持って進めている。目標達成のために努力してほしい」と指示した

これは大きな変化だろう。朴政権はこれまでは「歴史問題で日本が誠意ある態度を示さなければ、首脳会談はおろか日本との政治交流はできない」と突っぱねてきた。

「反日」が常態の韓国では、日本に強い態度を示さなければ政権維持が困難になるからだ。しかし、いくら強硬姿勢をしても「賠償問題などは日韓基本条約で解決済み」という態度を崩さない安倍政権には通じないということがわかったのだ。「ぬかに釘」「のれんに腕押し」だと。

政治外交、経済面で韓国が強く、日本が弱ければ、日韓関係が冷却したままでも構わない。だが、韓国の政治外交、経済基盤は劣化の道をたどっており、そんな余裕はなくなっている。

日本との関係を改善しなければやっていけなくなりつつある。ウォン高で貿易収支が悪化し、国内経済も厳しく、若者の失業が広がっている。最大の輸出先として頼みにしている中国経済も不動産バブルの崩壊が迫り、成長率が鈍化、先行き不安が増している。

外交面でも、4月22日にインドネシアで日中首脳会談が開かれ、日中両首脳は「両国関係改善に向け対話・交流を進める」ことで一致した。安倍首相はその後訪米し、米国との関係を強化、米議会演説では「慰安婦問題での謝罪」などはしなかったのに、「日米同盟を希望の同盟にしていきたい」と発言、多くの米議員に歓迎された。

中国、米国との関係を強める日本に対し、日本を批判してきた韓国は外交的に孤立する懸念が高まっている。これまで日本批判を続けていた韓国メディアも対日関係を改善すべきだという方向に動き出している。

そこで、朴大統領は「従軍慰安婦問題」と切り離す形で、経済や安全保障などの分野では対日協力関係を強める意向を示したのだろう。

上記の首席秘書官会議で、朴大統領が「日本が歴史を直視できないとしても、我々が解決できる問題ではない」とも語ったことがそれを如実に示している。いくら強硬姿勢を示してものれんに腕押し、安倍政権には「お手上げ」という格好である。

中国も同様だ。習近平政権はこれまで、世界中で「日本は歴史を直視しない」と批判を繰り返してきた。だが今や、インドネシアでの首脳会談を実現し、関係改善に動き出した。

理不尽な要求に応じない一方で「対話のドアはいつでも開いている」と中韓に呼びかけ続けた安倍首相の勝利と言えよう。

6日付けの日経1面を見ると、「中国の自動車工場は2500万台分過剰、稼働率5割、値引き競争が広がる」という記事が出ている。

不動産バブルの崩壊が始まり、それが製造業の生産萎縮につながり、中国経済は本格的な後退期に入る予感がある。大気汚染、水質汚染も深刻化しつつある。

中国がアジアインフラ銀行(AIIB)を設立に動いているのも、過剰になった生産力のはけ口をアジア、中東に求めているとの見方がある。欧州やアジア各国が参加し、日本は米国とともにAIIBという新しい国際金融の枠組みから取り残されつつある、などという批判が出ているが、中国の金融面での国際的影響力はそんなに大きいのだろうか。

日中友好議員連盟の高村正彦会長(自民党副総裁)は5日、北京で中国共産党序列3位の張徳江・全国人民代表大会委員長と会談したが、張氏はAIIBについて「日本にも協力してほしい」と要請している。

中国はAIIBの信用力強化のため、日本が必要なのだ、と考える方が自然ではないか。

外交は駆け引きである。これまで日本や米国のメディアや識者、政治家の間では中韓と対立する安倍首相を「歴史修正主義者」「危険な国際的孤立を招く」と批判する声が多かった。中韓はそれを利用する形で、日本を批判し、日本の外交的立場を貶めようと画策してきた。

だが、外国は駆け引きである。国際法の遵守、礼儀と正義を重んずる行動から見て、日本の方が正しいということを示していけば、良識ある国々は納得する。安倍首相は様々な国際会議や各国訪問の中で、それを実践し、各国の賛同を得た。そして、今回の米国訪問で最大の同盟国にして最強の軍事外交国である米国も味方につけることに成功した。

一時的に日中関係、日韓関係の冷却化しようとも、相手の理不尽な要求、恫喝には屈しない。それを貫けば、結局は自国に国益に資する形で外交は改善する。安倍政権はそのことを示しつつある、と言えよう。

世界の動静を見ようとしない「ガラパゴス」化したメディアや評論家はそのことをわかっていない。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年5月6日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。