私が幼少の頃、近所の酒屋では夕方になるとカウンター越しに乾きものをつまみにコップ酒を愉しんでいる常連で賑わっていました。いわゆる元祖立ち飲みであります。そんな昔の光景を私が社会人になってから思わぬところで発見しました。夕方の横浜駅、相鉄線への乗り換え通路あたりにかなりの数のオジサンがワンカップで一人飲みをしていたのです。ある意味異様な光景でしたが、多分、ほかの乗換駅でもあったのでしょう。
日本人は酒を通じたコミュニケーションを得意としていました。一昔前、外国人に日本での仕事のコツは、と聞かれれば即座に「本当の仕事は5時から始まる」と答えたものでした。この居酒屋文化は地球上の多くの場所で極めて長い歴史を持っています。古代バビロニアで紀元前18世紀にそれらしきものがあったとされ、庶民の集まる場所として繁栄したのが最古の歴史でしょうか?居酒屋といえばイギリスのパブですが、この名称は「パブリックハウス」から来ています。事実、バンクーバーにもパブリックと言う名称で営業している居酒屋は割とあちらこちらに見かけます。日本では8世紀には存在していた記録があり、庶民のコミュニケーションの場として独自の繁栄をしてきました。
その世界各地で見られる居酒屋、日本ではおじさまの大好きな場所としての認知度が高いようです。
一昔前、吉野家に行くと昼間から牛皿とビールで異次元の世界に入り込んでいる人を結構見かけたものです。なぜ、こんなせわしい店でビールを飲みたくなるのか私にはいまだに理解できませんが、報道によれば最近は少なくなってきているとか。
居酒屋の作り出す文化は被雇用者の憩いの場であり、安心できる場でありました。渋谷あたりではワイシャツの袖をめくり、口角泡を飛ばす勢いもよく見られたものです。一方、船橋あたりの工場街の居酒屋では店員と客が一体化していてよそ者には入りにく雰囲気、そして各テーブルでは酔った勢いで声のボリュームはコントロール不能で壊れてしまっているようでした。
その居酒屋、繁華街では今でもその不動たる地位を占めているのですが、経営は楽ではないようです。やはり、若い人が飲みに行かなくなったのが原因でしょうか?私はアルコールが作り出す雰囲気はSNSそのものだと思っています。昔の日本人はシャイでした。思っていることも言いたいこともなかなか言えませんでした。ですから居酒屋でアルコールの力を借りてコミュニケーションをしていたのでしょう。
しかし、今の世代は言いたいことを遠慮なく言えます。特にスマホのテキストやFB世代である30代から下の人にとってはアルコールがなくても繋がることができます。そしてどうしてもリアルSNSが必要な時はコーヒーショップに行くようになっています。スターバックスの経営はコーヒーを介在にしたコミュニケーションの場の提供が本質だといえばお分かりいただけますでしょうか?
いま日本ではいわゆる喫茶店が再ブームとなっています。そこには人が集まり、話をできる空間が提供されるという事です。これは居酒屋の強烈なライバルだと指摘する人はまずいないと思いますが、私はブームの本質はそこにあると考えています。
居酒屋がプライベート空間を重視した造りになっているのに対してコーヒーショップは大きなテーブルに知らない人同士が座るスタイルで明らかに経営スタイルの相違であります。それぞれそれなりの意味がありますが、最近プライベートルーム型の居酒屋に入るたびにこの店は流行っているのかガラガラなのか分からない、つまり、活気が伝わってこなくてつまらないと感じてしまうのは世代の違いでしょうか?
今や高齢者社会。退職した男性は家にいてもやること無し、仕方なく近所の赤ちょうちんで4時間も5時間も過ごしてしまう一人飲みのオジサマもかなりいらっしゃいます。その人たちは同じ一人客の同朋求めて知らぬ間に会話をしているのが楽しいのでしょう。しかし、あと20年すればその時代も幕を閉じる気がします。今の若者は酒を飲むこととコミュニケーションとは別物と考えています。酒が飲みたければ酒屋で買って家で飲む人が増えているのもそういうストーリーラインで考えると辻褄が合うかと思います。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
岡本裕明 ブログ 外から見る日本 見られる日本人 5月10日付より