「過去(歴史)問題」は決して日韓中3国の独占テーマではない。世界に約12億人の信者を有するローマ・カトリック教会最高指導者ローマ法王のフランシスコも例外ではないのだ。
南米アルゼンチンのブエノスアイレス大司教(ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿)だったフランシスコ法王が2013年3月のコンクラーベ(法王選出会)で第266代ローマ法王に選出された直後、新法王の「過去問題」が一時、メディアに流れたが、世界の信者たちから愛されるフランシスコ法王の「過去」を追及する声はその後、消滅していった感があった。しかし、法王自身がここにきて自身の「過去問題」に関して身の潔白を証明する姿勢を明らかにしたのだ。フランシスコ法王が直面する「過去問題」とは、アルゼンチンの独裁政権時代(1976~83年)の同法王の言動についてだ。
アルゼンチンの独裁政権下では3万人余りの国民が行方不明となった。彼らの多くは虐待され、殺害されたと推測されている。軍事政権により拉致、拷問された2人の神父に関して、当時イエズス会のアルゼンチン代表であったベルゴリオ枢機卿は迫害を恐れ、支援をしなかったというのだ。
それに対し、人権活動家で1980年のノーベル平和賞受賞者のアンドルフォ・ぺレス・エスキべル氏は、「アルゼンチンのカトリック教会では独裁政権を支援した司教たちもいたが、ベルゴリオ枢機卿はそうではなかった」と証言している。同国の軍事政権下の“黒歴史”について、歴史家たちの検証作業は行われていない。欧米メディアで法王の「過去問題」が報じられる度、バチカン法王庁は「法王は当時、国民を支持していた」と説明し、噂の沈静化を図ってきた経緯がある。
バチカン広報関係者が6日、明らかにしたところによると、フランシスコ法王はアルゼンチン独裁政権時代のバチカン関連文書の早期公開の意思を表明したというのだ。
バチカン側の説明によると、「関連文書は目下、目録中だ」という。全てのバチカン文書を公開するか、誰が同文書を検証するかなどは依然、不明だという。
ちなみに、バチカンでは通常、秘密外交文書などは70年経過した後、公開することになっている。バチカンは1939年までの文書を研究家たちにこれまで公開している。
ローマ法王の「過去問題」が話題となるのは今回が初めてではない。ナチス・ドイツ軍が欧州全土を席巻していた時、ローマ法王だったピウス12世(在位1939~58年)に対して、ローマ法王は迫害されるユダヤ民族の救済に乗り出さなかったばかりか、ナチス政権を支援したという批判の声がユダヤ人関係者や歴史家たちから出てきた。
それに対し、バチカン側は、「ピウス12世は多くのユダヤ人を救済した」と反論し、同法王の名誉回復を進めてきた。ユダヤ人関係者はバチカンの秘密文書の公開をこれまで要求してきた経緯がある。フランシスコ法王の「過去問題」と酷似しているわけだ(「ピウス2世とホロコースト」2007年4月18日参考)。
個人には個人史があり、家庭、氏族、民族、国家もそれぞれ独自の歴史がある。公開したい内容もあれば、隠しておきたい内容もあるだろう。ローマ法王にも隠したい個人史があったとしても不思議ではない。フランシスコ法王が自身に関する過去の噂の解明に積極的に応じる姿勢を示したことは評価できる。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年5月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。