人は須らく、自ら省察すべし

脳神経研究で世界的に著名な医学者で第16代京大総長を務められた、平澤興さん(1900年-1989年)はその御著書『生きよう今日も喜んで』の中で、「不幸は人間を苦しめるというが、よく考えてみると、人間を苦しめるのは不幸そのものではなく、不幸だと思うその考え方自体である」と述べておられます。


不幸を不幸だと思っていたのでは、そこに何らの前進もありませんから、やはり「艱難汝を玉にす」と己に言い聞かせ、中国清代末期に太平天国の乱を平定した曾国藩が言う「四耐四不(したいしふ)」を実践して行かねばなりません。

つまり「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え」るという四耐、及び「激せず、躁(さわ)がず、競わず、随(したが)わず」という四不が、人物の成長に非常に大事だということです。

いま苦しいのは、「人間成長のためだ」「天が与えたもうた試練だ」と思って、之を頑張り抜くしかありません。大事を成そうと思ったならば、その位のことが出来なければ、そもそも御話にならないのです。

私が私淑する安岡正篤先生は、「人間は自得から出発しなければいけない。人間いろんなものを失うが、何が一番失いやすいかというと、自己である。根本的・本質的に言えば、人間はまず自己を得なければいけない。人間は根本的に自己を徹見する、把握する。これがあらゆる哲学、宗教、道徳の、根本問題である」と仰っています。

あるいは、佐藤一斎なども『言志録』の中で、「人は須らく、自ら省察すべし。天、何の故に我が身を生み出し、我をして果たして何の用に供せしむる。我れ既に天物なれば、必ず天役あり。天役供せずんば、天の咎(とがめ)必ず至らん。省察して此に到れば則ち我が身の苟生すべからざるを知る」と言っています。

自分は天から如何なる能力が与えられ、如何なる「天役…此の地上におけるミッション」を授かり、如何なる形でその能力を開発して行けば良いのか―――天が与えし自分の役目を己の力で一生懸命追求し、その中で自分自身を知って行くのです。

そして一度それを探し当てたらば、「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん」(『孟子』)という孔子の言葉のように、世の毀誉褒貶を顧みず自分が信じた道を唯ひたすらに恐れなく突き進んで行くだけです。

冒頭挙げた平澤さんはまた同書の中で、「君がおらぬと、周囲が困るような人になりなさい」とも言われており、之は基本その通りだと思いますが、本当を言えば困る・困らないといった程度の話ではありません。

例えば中国宋の謝枋得が編纂(へんさん)した『文章軌範』の中で、「一国は一人を以って興り、一人を以って亡ぶ」と蘇老泉が言う通り、一人の存在というのはそれ位大きな力を持ち得、その国の全てを決めて行く側面すら有しています。

会社で言えば、その成長のためには経営者自身が自分の魂を練って行くしかなく、それにより自分自身の人間力を増して行かないことには、その会社の器というのも結局大きくはならないわけです。

私がいなければSBIグループも出来てはおらず、孫さんがいなければソフトバンクグループも出来てはいません。「君がおらぬと、周囲が困る」どころか、その人ひとりで国を創る位の力を、卓越した人間力を養った個人は有しているのです。

要は国であれ企業であれ、その盛衰はトップの在り方一つで決せられ、トップが如何にして自分の人物・知性を磨き、判断力・直観力を養ってきたかが、その全てであると言えましょう。

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