バチカンは「奇跡」と霊現象が怖い? --- 長谷川 良

ローマ法王フランシスコは来月6日、ボスニア・ヘルツエゴビナの首都サラエボを訪問する。ボスニアといえば、死者20万人、難民、避難民、約200万人を出した戦後最大の欧州の悲劇と呼ばれたボスニア紛争(1992~95年)を思い出す人が多いだろう。ボスニアはデイトン和平協定に基づき、「ボスニア・ヘルツエゴビナ連邦」と「スルプスカ共和国」(セルビア人共和国)に分かれこれまで統治されてきたが、セルビア系、クロアチア系、イスラム系の3民族の真の和平からは遠く、現状は「冷たい和平」(ウォルフガング・ぺトリッチュ元ボスニア和平履行会議上級代表)が支配している。その紛争の記憶が生々しいボスニアをローマ法王が訪問するわけだから、法王の安全問題が懸念されるわけだ。


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▲クロアチア系住民とイスラム系住民間を結ぶボスニアの「スタリ・モスト橋」(2005年11月、ボスニアのモスタル市で撮影)

ところで、ローマ法王のサラエボ訪問では、フランシスコ法王が聖母マリアの再臨の地メジュゴリエを訪問するかどうかで注目されてきたが、バチカン放送独語電子版が15日報じたところによると、サラエボの大司教ヴィンコ・プルジッチ枢機卿は記者会見で、「ローマ法王は聖母マリアの再臨の地を訪問する予定はなく、それに関連した話に言及する考えもない」と述べている。このニュースが流れると、多くのボスニアの信者たちは失望している(「『聖人』と奇跡を願う人々」2013年10月2日参考)。

ボスニアの首都サラエボ西約50キロのメジュゴリエで1981年6月、当時15歳と16歳の少女に聖母マリアが再臨し、3歳の不具の幼児が完全に癒されるなど、数多くの奇跡が起きた。1000万人以上の巡礼者がこれまで同地を訪れているが、バチカンはメジュゴリエの聖母マリアの再臨を正式に公認していない。

なぜ、フランシスコ法王はメジュゴリエを訪問しないのかについて、プルジッチ枢機卿は、「自分はメジュゴリエ調査委員会メンバーだから、詳細な内容を公開できない立場だ。調査結果は教理省に既に送られているから、そこで審議された後、法王がその結果を語るだろう」と説明した。

前法王ベネディクト16世は2008年7月、「メジュゴリエ聖母マリア再臨真偽調査委員会」を設置。枢機卿、司教、専門家13人で構成された同委員会が10年3月に調査を開始している。

バチカンは奇跡や霊現象には非常に慎重だ。イタリア中部の港町で聖母マリア像から血の涙が流れたり、同国南部のサレルノ市でカプチン会の修道増、故ピオ神父を描いた像から同じように血の涙が流れるという現象が起きているが、バチカン側は一様に消極的な対応で終始してきた。スロバキアのリトマノハーでも聖母マリアが2人の少女に現れ、数多くの啓示を行っているが、メジュゴリエと同様、公式には認定されていない。カトリック教会では「神の啓示」は使徒時代で終わり、それ以降の啓示や予言は「個人的啓示」とし、その個人的啓示を信じるかどうかはあくまでも信者個人の問題と受け取られてきた経緯がある。

聖母マリア再臨地を実際訪問したオーストリアのカトリック教会最高指導者シェーンボルン枢機卿は09年12月、「メジュゴリエ現象は社会の平和に貢献する内容が含まれている。多くの若者たちが同地を訪れ、平和のために祈りを捧げ、病気が治ったり、回心者まで出ている」と報告し、同地には宗教的エネルギーが溢れていると証言している。

メジュゴリエ公認問題が難しい背景には、バチカンの姿勢もそうだが、巡礼者へのケア問題で現地のフランシスコ会修道院と司教たちの間で権限争いがあるからだともいわれる。

参考までに、日本人にも良く知られている聖母マリアの再臨の地は「ルルドの奇跡」と「ファティマの聖母マリア再臨」だろう。両者はバチカンから正式に「聖母マリア再臨の地」として公認され、信者たちの巡礼の地となっている。フランシスコ法王は2017年、ファテイマの聖母マリア再臨100年を記念して、同地を訪問する予定だ。

紛争前、サラエボは多民族共存のモデル都市であった。サラエボで冬季五輪大会(1984年2月)も開催された。ローマ法王のサラエボ訪問がどのような成果をもたらすか現時点では不明だ。フランシスコ法王のサラエボ訪問時には隣国から5万人以上の信者たちが集まってくると予想されている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年5月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。