第2次世界大戦後の世界の政治秩序構築は戦勝国の主導のもとで進められていったことは周知の事実だ。その代表的機関が国際連合だろう。国連の最高意思決定機関の安保常任理事国5カ国はいずれも先の大戦の勝利国か、ないしは支援国側だった。その結果、日本はドイツと共に大戦の全ての責任を背負わされ、多くの戦時賠償金を支払ってきたことは誰でも知っている。
ニューヨークで開催中の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で日本が提出した核被爆地の広島市、長崎市の視察要請に対し、中国側が強く反対したという。国際会議は国益の外交戦だ。中国が最終文書の中で広島、長崎市の視察要請が記述されることに反対したということは、中国の国益に反する何らかの理由があるからだ。
15日のニューヨーク発の読売新聞電子版によると、「15日の会議で日本の佐野利男大使は、『次世代への教育のため(被爆地訪問は)最も効果的な方法の一つ』と述べ、記述を復活させるよう求めた。これに対し、中国の傅聡軍縮大使は、『なぜ中国のような国にまで訪問を強要するのか』と改めて反対を表明した上で、『もうたくさんだ』と語った」という。
それでは、具体的に何が中国の国益に反するのか。考えられる点は、広島、長崎両市が世界最初の核兵器による被害地だという歴史的事実だろう。その事実が記述されれば、先の大戦の加害者側オンリーの日本に、被害者の側面が浮かび上がってくるからだ。当たり前の事実だが、画一的な思考しかできない国の指導者には容認できないのだろう。
そうだ。日本はやはり被害国だったのだ。欧米諸国の対日経済封鎖が誘因となって、当時の日本政府は戦争に駆り出されたという理由からではない。戦争で無差別攻撃を受け、多数の国民を失ったという意味から、被害国でもあったという事実だ。
東京大空襲を想起してほしい。多くの国民が米軍の空爆の犠牲となった。軍事関連施設以外の無差別攻撃は国際法違反だ。その意味で、日本人はやはり被害者でもあった。ドイツでも同じ例がある。ナチス・ドイツ軍の特定民族への大虐殺は議論の余地はない戦争犯罪だ。同時に、米英の連合国軍のドレスデン市大空爆も国際法に違反した蛮行だった。ドレスデン市はその無差別攻撃で完全に破壊された。犠牲者の多くは軍人ではなかった。
戦争で一方的な被害国、加害国は存在しない。戦争を始めた国は加害国だが、戦争誘発の原因をみれば、100%加害国の責任とはいえない場合も少なくない。白と黒を区別するように、戦争の加害国、被害国の区別は簡単ではないのだ。
さて、日本側がNPT再検討会議で被爆国の立場から加盟国に広島、長崎両市の視察を要望することは理解できる。大戦の加害国だから、被爆地の視察を要望できないという理屈はない。一方、「反日」を国策とする中国は、日本も同じように大戦で多くの犠牲を払ったという事実が再認識されることを避けたいのではないか。中国にとって、日本は加害国であり続けなければならないのだ。
第2次世界大戦後70年が経過する。大戦の戦勝国家がその利益を無条件に享受できた時代は過ぎた。一方、敗戦国となった国もいつまでも自虐史の中に沈没する必要はない。戦争に対する反省、教訓を未来の発展に生かすべきだ。歴史が未来の発展の妨害となれば、それはもはや教訓ではなく、障害物に過ぎない。
戦争は人類全てにとって敗北を意味する。同時に、戦争という悲劇から多くを学んだ側が最終的には勝利者となる。日本が敗戦後、近隣諸国へ経済支援を積極的に実施し、平和国家の建設に務めてきたことは、日本が過去の悲劇から少なくとも教訓を学んできたからだろう。一方、過去の一時期の結果に拘り、過去の奴隷となるならば、その国は本当の敗戦国となってしまう。「中国と韓国が被爆地の視察に反対するのは、歴史から学ぶ姿勢が乏しいからだ」と批判を受けても仕方がないだろう。
日本は第2次世界大戦に対し責任を回避できない。同時に、被害国でもあったのだ。日本の過去を激しく批判する中国や韓国は被害国の特権をいつまでも独占出来ない。“戦後”の真の勝利国を決定するのは、世界の発展のためにどれだけ貢献したかだ。その意味で、日本人は自信を持つべきだ。一方、中国、そして韓国は戦後の世界貢献度レースでは、政府開発援助(ODA)の国別比較を指摘するまでもなく、日本の実績に比べて見劣りする。しかし、レースはまだ終わっていない。両国は日本に追いついき、追い抜くことができるのだ。グズグズしている場合ではない。70年前に終わった戦争に関連した反日批判は「もうたくさんだ」。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年5月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。