渡部昇一著『松下幸之助 成功の秘伝75』(致知出版社)の中に、『一歩先を見て「ああしようこうしよう」と、自分に起こりうる状況をいつも頭に描いていることは、大きな仕事を可能にする一つの道である』と書かれているようです。
此の「大きな仕事」ということで私は『論語』より、「君子は小知(しょうち)すべからずして、大受(たいじゅ)すべし。小人は大受すべからずして、小知すべし」(衛霊公第十五の三十四)、及び「君子は器(うつわ)ならず」(為政第二の十二)という孔子の二つの言葉を思い出しました。
前者は「君子は小さい仕事には向かないが、大きい仕事は任せることが出来る。小人は大きな仕事には向かないが、小さな仕事は任せることが出来る」という意味です。
此の「大きな仕事」と「小さな仕事」は、全く性質が異なるものです。小さな仕事が出来るからと言って大きな仕事が出来るとは限らず、大きな仕事が出来るからと言って小さな仕事が出来るとは限りません。大事に向いた人に小事をやらせてみても、それは適材適所の人員配置と言えるものではありません。
平社員の時と管理職になってからとでは、組織の中で求められる役割が大きく変わってきます。平社員時代に任せられるのは、小さな仕事であります。その小さな仕事を着実に熟し、プレーヤーとして優秀な成績を収めて行かねばなりません。
但し誤解しないで欲しいのですが、此の小さな仕事とは詰まらぬ仕事・意味のない仕事ということではありません。工場の従業員が「こんなのは小さな仕事だから」と言って部品の組み立てを疎かにしたら、忽ち会社の信頼は地に墜ちることでしょう。故に小さな仕事も非常に大切でそもそも事業の多くは、小さな仕事の積み重ねから成り立っているのです。
しかし管理職になってから求められるのは、逆に小さな仕事はしないことです。それは部下の仕事であり、自分の仕事ではないからです。小さな仕事に時間を取られていたならば、大きく広く物事を見ることが出来なくなってしまいます。
ところがこれまで、小さな仕事で業績をあげることで評価をされてきた人は、「小さな仕事」から「大きな仕事」への転換が中々できないものです。課長まではとんとん拍子で進んだものの今大きな壁にぶち当たっていると感じる人は、自分が「小知」から「大受」への脱皮の時期にあると捉え正に今が正念場だと認識すべきでありましょう。
それから次に先に挙げたもう一方、後者の「君子は器ならず」とは「君子は器ではなく、器を使うのが君子だ」という意味です。
私達はよく「もっと器が大きな人間になれ」とか「あいつは器が小さい」などと言いますが、「そもそも君子は器ではない」即ち「一定の型にはまった人間ではない」と孔子は語っているのです。
上に立つ者の役割は、自分が器として働くことでなく部下という器を使い熟すことであります。部下一人ひとりに、自分の職分においてその能力を存分に発揮させることで、その組織全体がレベルアップして行きます。
そして部下に存分に働いて貰いたいならば、トップは馬鹿殿様として「よきに計らえ」と言えるようなることも大切だと思います。サントリーの創業者・鳥井信治郎さんの「やってみなはれ」は、器を使い熟すトップの好例でありましょう。
才が突出した人間は、組織の中で優れた技量を有した器として貴重な役割を果たします。但しその人が、組織のリーダーとして様々な器を上手に束ねられるかと言うと、それはまた別の話です。
一方、西郷隆盛のような徳の人は、リーダーとして大きな存在感を発揮します。「徳は孤(こ)ならず。必ず隣(となり)あり」(里仁第四の二十五)という孔子の言の通り、実際たくさんの才ある人・徳ある人が西郷の下に集まってきたわけです。しかし彼が、実務家として細かい仕事に長けていたかと言うと、それもまた別の話です。
そもそも上に立つ者に求められるのは、「才」ではなく「徳」であります。そして「徳」は、誰もが生まれつき身に付けているもので、更には後天的に高めることが出来るものです。問われるのは、その人が生まれ持って授かった能力がどのようなものかではありません。此の世に生を受けた後、その人が自分の意思で如何に己を磨いてきたかということです。
上記を踏まえた上で冒頭の「大きな仕事を可能にする一つの道」に関して述べるとすれば、常日頃から「大きな視点で仕事を捉える」ということは非常に大事だと思います。
嘗て私は野村證券の最終面接の時、面接官として出席されていた当時の伊藤副社長から「君は野村で何をやりたいんだ?」と尋ねられ、「先輩諸氏から御話を色々と伺いましたが、実際働いてみないと良く分かりません。唯、どこの部署でどんな仕事に携わることになったとしても、世界経済の中での日本経済、日本経済の中での金融機関、金融機関の中での野村證券という三つの視点を常に持ちながら、粉骨砕身働いて行きたいと思っています」と答えました。
学生の答えとして之は、一風変わったものであったかもしれません。私は数多の偉人や英雄の伝記を読んでおり、“Think Big.”つまり「大きく考えろ」ということが、高校時代から習慣になっていたのです。
大きく考えたらば、小さな枝葉末節な事柄から頭が離れます。勿論、二宮尊徳の教え「積小為大…小を積みて大と為す」も知っていましたから、基本はきっちり身に付けて行かねばと思ってはいました。しかしその基本の上に大きな事柄を考えて行くと、小さな問題にぶち当たったとき脱却する方法になり得ると体得していたのです。
ですから上記した面接にあっても、視野を大きく取って物事を考えたいと思い、そうした答えをしたわけです。此の考え方は伊藤副社長にも伝わったようで、私は面接が終わってから人事担当課長に呼ばれ、『君の答えを副社長がえらく褒めていて、「あいつはお前らには任せん。俺が直接教育する」と言っていたぞ』と告げられました。そして実際その後、他の新入社員とは違ってある意味では帝王学により育てて貰ったように思っております。
何れにせよ、小さな事柄をぐだぐだと考えるのではなく、大きく考える習慣を身に付けることが大事だと思います。それにより詰まらぬ話で目くじらを立てることも、無くなって行くのではないでしょうか。
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