「国益」の要は、言うまでもなく、国民の「生命」と「財産」と「自由」と「安全」を守り、その「平均的な生活水準」を高く維持する事である。しかし、「平均的な」というところはかなり重く、この定義は全く定まっていない。国民は、その属する「階層(収入基盤)」や「年齢(経済的自立性)」や「地域」によって、様々な異なる利害を持っているのだから、どのような政策が「平均値を最大にする」事に貢献するかを判断するのは容易ではない。
国内的には、「国益」の最大化は、「財政」「税制」「金融政策」「産業政策」「エネルギー政策」等からなる「経済政策」と「社会保障」「保健・福祉政策」等からなる「社会政策」によって図られるべきであるが、今や一体化しつつある世界の中では、全ての政策は「世界の一部として存在する日本」という観点に基づいてしか考えられない。また、安全保障体制の確立は、全ての「守るべき価値」の基盤となるものであるが、日本一国で考えられるものではない事は言を俟たない。従って、その両面から、「外交政策」は国政全般の中でも極めて重要な位置を占める事になる。
その観点から、今日は、現時点で日本が取るべき「外交政策」について主に論じたい。「経済政策」と「社会政策」については、「大きな政府」派(社会政策重視派)と「小さな政府」派(市場原理主義派)に大きく分かれだろうが、「外交政策」やその重要な一環をなす「安全保障政策」については、それとは直接繋がらない形で、二つの極が形成されるだろう(従って、現在の野党が全ての政策について大連合を形成することは理論的に難しいと言える)。
「安全保障政策」や「外交政策」を語る時に、昨今「歴史認識」という言葉がよく議論に出てくる。というよりも、中国と韓国の二国がこの言葉を頻繁に口にするので、日本の関係者もこれにコメントせざるを得ないというのが実態だろうが、何れにせよ、素通りできない問題であることに間違いはない。
ところで、「歴史」というものが語られる時、「事実関係の認識」と「その評価(善悪の認識)」の二つが絡み合って語られるのが常だが、この二つは明確に区別されなければならない。「事実」のほうは、本来一つしかない筈のものだから、中・韓両国がよく使う「歴史の歪曲」という言葉はその点では奇妙なものだが、彼等が言いたいのは、その「評価」の問題であり、攻撃の対象は「過去の日本の行為の正当化(美化)」であると考えるべきだ。
彼等が日本の一部の人たちが熱心な「過去の正当化(美化)」を強く攻撃するのは、「日本がまた同じ事をしそうだから」と思っているからではなく、もっと感情的なものだろう。皮肉な事に、これは日本の右派の人たちにも共通して言える事だ。
「格差問題」に揺れる人心を一つにまとめるための材料として、「共産党の指導下で抗日戦争に勝利した」事を最大限に美化する必要のある中国の現政権には、この感情を利用する事で得られるものが多いが、韓国の反日主義者や日本の国家主義者(右派)には、「感情に流される事が、実はそれぞれの「国益」を大きく害する事につながる」事を理解する人たちは少ないように思える(日本の左派には、一般に中・韓の言う事に同調する向きが多いが、これについては別に機会を改めて考察する事にする)。
大陸と地続きの半島国家であるが故に、長年中国の属国としての位置づけを甘受し、その文化に慣れ親しんできた韓国には、「放っておけば、全ての分野で中国に飲み込まれてしまう」というリスクが常に存在する。従って、彼等がもし真の独立自尊を願うなら、海洋国家である日本との関係を強化したほうが戦略的にははるかに得策であるように思える。にもかかわらず、その逆になっているのは、直近の日本による支配に対する屈辱感が未だに根強く、この感情を払拭できないからだろう。
一方、直近の戦争で、既に自国を含めた全世界の人たちが「悪の権化」と決めつけているナチスドイツとファシズムのイタリアのみを味方として、世界の全ての国を相手に戦った「過去の日本」は、彼等と同根と見られるのは避けられない。従って、これを正当化(美化)しようとする事は、わざわざ世界中をあらためて敵にしようとしているのと同じだから、こんな愚かなことはないのだが、日本の右派の人たちは概ね感情だけで物を言っているので、こんな事は省みようともしない。
日本の右派の人たちは「過去の日本がナチスドイツとは全く違っていた事は、よく説明すればわかって貰える筈」と考えているようだが、国際的なコミュニケーションの経験も乏しく、その能力にも欠けている人たちが、このように妄想するのは滑稽だ。「異なった形ではあれ天皇制を維持し、国旗も国歌も戦前のまま」という現在の日本は、それでなくとも誤解を受けやすいのだから、「現在の日本の信条と政策は過去の日本のそれとは根本的に異なる」事を、あらゆる機会を通じて丁寧に説明し続ける事が肝要だ。「日本人は日本人、別に外国人に気を使う必要はない」と公言するが如き人たちは、非現実的な孤立主義者であり、亡国の徒と言われても仕方ないだろう。
このように考えると、現在の日本が自らの国益を最大限に守ろうとするなら、「歴史認識」については明確に「事実」と「評価」を切り分け、「事実」については「学問的にきちんと究明する」事を主張し続けると共に、「評価」については下記のように明確に語れば良い(安倍首相は一時期「村山談話を見直す」事を示唆したことがあるので、面倒でももう一度、明確に自分の言葉でこの事を語る必要がある)。
「『遅れてきた帝国主義国家』として、自国の経済的野心を達成する為に、武力によって他国を屈服させようとしたのが過去の日本であり、これが自国と周辺の他国の国民に筆舌に尽くせぬ悲惨な状況をもたらした。この事については、戦後の日本は一貫して痛切に反省し、且つ深く悔悟しており、現在の日本はその反省と悔悟の上に立って建設されてきたものである。」
さて、ここで現在の日本を巡る周辺地域の状況を見ると、
- イスラム過激派の台頭により世界の全域でテロが横行し、日本経済の生命線であるエネルギー資源の供給も不安定になる恐れがある。
- 中国の覇権主義が顕在化しつつあり、尖閣列島周辺や南沙諸島においては軍事衝突が起こるリスクも高まっている。
という二つの事態があり、東西冷戦終結後の一時的な安定が崩れつつあるように思える。
この状況下では日本が取れる選択肢は少なく、日米同盟の強化は避けて通れない。「多くの矛盾を内包し、且つ弱体化しつつある米国の世界戦略」に無条件で組み込まれてしまうリスクは、勿論何としても避けなければならないが、日本防衛の一翼を米軍に担ってもらう必要がある限りは、見返りを出さねばならないのは当然だ。この為には、「いいとこ取り」も「唯々諾々」も共にあってはならず、公正で誠実でありつつも老獪な交渉が強く望まれる。
さて、ここで遠い過去の歴史をもう一度振り返ってみたい。天皇陛下も、恒例の「新年のご感想」で「本年は終戦から70年という節目の年(中略)この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていく事が、今、極めて大切なことだと思っています」と言っておられる。「歴史から学ぶ」事は、別に中・韓に促されるまでもなく、我々自身が常になすべき事だ。
戦前においては、陸軍の一部が強く引っ張った「対外強硬派」と、幣原外相などが進めようとしていた「対外融和派」が対立し、また、陸軍内部においても、永田鉄山の「統制派」と過激な「皇道派」との対立があった。昭和天皇は一貫して平和主義者だったが、立憲君主主義の理念に忠実であられたが故に「天皇の統帥権を独立不可侵とする憲法の原則」を事ある毎に言い立てる人たちを抑えきれなかった。
結果として日本を「あの破滅的な戦争」へと駆り立てる事態を招いた元凶は、一概に特定する事は難しく、「農村の貧困(貧富の格差の拡大)」「政財界の腐敗」「二大政党間の政争(特に幣原喜重郎の失脚を図った森恪の暗躍)」「頻発するテロとそれを恐れる気風の蔓延」「空気を読み、長いものに巻かれる日本人の特性」「優れた戦略家の不在」「マスコミに煽られた民衆の熱狂(又は、民衆の熱狂に便乗して部数を伸ばそうとしたマスコミの営利主義)」等々が複合的に絡み合った結果だと私は見ている。勿論、それを主導したのは陸軍であり、特に関東軍の冒険主義者たちだった事は言を俟たないが、それを牽制できる立場にいた人たちが英知と決断力に欠けていた事も指摘されて然るべきだ。
更にそれ以前の日本の外交政策を俯瞰すると、「日英同盟」の存在が如何に大きかったかがわかるし、米国の圧力でそれが破棄された後は、日本は孤立の道を歩まざるを得なかった事が分かる。この経緯において、日本人が反省すべきは、「英国や米国の立場に立って、彼等が自国の利害をいかにして守ろうとしていたかを深読みする」能力も意欲も持たなかった事であろう。相手の立場に立って考えることこそが外交の本質であるのに、日本人は昔も今もそれが下手だ。
幕末から明治維新の時期にかけて、英国にとって、ロシアの極東における国力の膨張は大きな懸念事項であり、それを防ぐ為には日本に肩入れする事が必要と考えた。例えば、対馬は、英国がロシア艦隊を追い払ってくれなければ、易々とロシア領になっていただろう。また、その時点で対馬を自国領にするのは極めて容易だった英国が、「もしそれをやれば、欧米列強が中国同様に日本の各地を次々に自国領にしていく事を防げなくなる」と懸念して、あえてそれをやらなかった事が、結果として日本を救った。それは何も英国人が日本人を好きだったからではなく、彼等が日本での利権を独占する為に緻密な計算をした結果にすぎなかった。
しかし、英国と米国の関係は、英国とロシアの関係とは異なった。そして、中国での利権が欲しかった米国は、日本を最大の競争相手と考えていた。こうなれば、日本が取るべき道は唯一つ、米国と米国人に対する理解を深め、どうすれば彼等と強調できるかを考えるしかないことはわかりきっていたのに、当時実際に日本を支配していたのは、米国というものを殆ど理解できていない人たちばかりだった。これが日本の最大の悲劇だったと言える。
現在の中国はその事をよく知っている。だからこそ、口では強硬なことを言いながらも、常に米国の出方を瀬踏みしている。世界情勢の複雑化の中で、米国の外交支配力が次第に弱体化していく事は避けられないにせよ、戦闘行為の電子化とロボット化により、米国の軍事力は更に強くなる事もありうる。その一方で、中国の台頭がもはや防ぎ得ないのは明らかだ。従って、現在の日本人にとっては、米国と中国の両方の状況を、共に常に深く理解している事がどうしても必要だ。それなくしては日本の国益は守れない。