左翼歴史学者に残る「性奴隷」の亡霊

海外の歴史学者はもう「性奴隷」という意味不明な言葉を使うのをやめたのに、日本の歴史学者は、まだそのレベルにも達していないようだ。歴史学研究会など16団体の声明は、一昔前の左翼のアジビラみたいな感じだ。

「慰安婦」とされた女性は、性奴隷として筆舌に尽くしがたい暴力を受けた。近年の歴史研究は、動員過程の強制性のみならず、動員された女性たちが、人権を蹂躙された性奴隷の状態に置かれていたことを明らかにしている。


性奴隷とは、NYTの田淵記者の定義によれば人身売買のことだが、戦前の民法でも人身売買は禁止されていた。陸軍もたびたび「人身売買をするな」という通達を出し、処罰も行なわれた。それでも売春が――多くの国と同じく――年季奉公(時限的な人身売買)で行なわれたことは事実で、これは安倍首相も米議会演説で認めた。

人身売買は民間の商取引なので、女性を「奴隷化」した責任は彼女の親にある。国家に責任があるのは、それを法的に認めて公権力で強制した場合だ。その意味で謝罪すべきなのは、1789年の合衆国憲法第4条で奴隷の所有権を認め、人身売買を制度化したアメリカである。

歴史学研究会は、唯物史観を信じる歴史学者の集団である。私が大学に入ったとき、西洋史の先生が歴研の幹部で、岩波書店が歴研の機関誌を出すのをやめたことを批判し、岩波の「右傾化」を延々と語ったのを思い出す。彼の講義のテーマは「発展段階論はいかにして各国に適用できるか」だった。

マルクス主義のコアだった経済学がマルクスを20世紀前半に葬ったのは、労働価値説に致命的な欠陥があるからだが、歴史観としてはその後もマルクス主義は根強く生き残った。「人間は社会的存在である」という廣松渉のいう意味での唯物史観は意味があるが、発展段階論は廣松でさえ否定していた。

戦時下の日本や戦場で人身売買が行なわれたことは明らかな事実で、それは日本政府も河野談話で認めた。国家責任を問うためには、大日本帝国が人身売買を制度化した証拠が必要だ。こんなことは法学者には自明だが、法律も経済も知らない歴史学者がまだ2000人(16団体には重複も多い)もいるのをみると、文系の学部はいったん全廃したほうがいいと思う。