韓国の最大手日刊紙「朝鮮日報」日本語電子版に以下の小記事が載っていた。
「28日未明の午前1時30分ごろ、江原道華川郡史内面竜潭里付近にある生態探訪路周辺の道で夜間戦術訓練を行っていた韓国陸軍部隊の将兵21人が、木製の橋の倒壊により3メートル下の渓谷まで落下した。事故現場に出動した史内119安全センターのチョ・ボンヒョン第2チーム長は、『木製の橋の中央部が切れて、渓谷に将兵が倒れていた』と語った」
▲モスタル市の「スタリ・モスト橋」(2005年11月、モスタル市で撮影)
先ず、怪我された将兵の回復を祈りたい。
上記の記事を読んで、その状況が当方の脳裏に鮮明に浮かんできた。それにしても、余りにも象徴的な出来事ではないか。「将兵」は国家を守る軍人だ。そして「橋」は両サイドを結ぶ役割を担っている。その木製の橋が突然壊れ、行軍中の将兵は橋を渡りきらず転落した。
聖書には以下の聖句がある。
「いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる」(マタイによる福音書24章32節)。
「まことなる主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」(アモス書3章7節)。
当方はその聖句の内容を信じる一人だ。現前に展開する全ての現象には偶然はなく、何らかの関連性がある。同時に、その現象には「意味」が含まれていると考える。日々の出来事や出会いも、必ず何らか関連性と意味があるはずだ。だから、上記の記事を読んだとき、その記事内容が絵画のように当方の脳裏に浮かび上ってきたのだ。
それでは朝鮮日報の記事の意味解きを始めよう。キーワードは2つだ。「将兵」と「橋」だ。「将兵」は国の安全を守る立場だ。その将兵が転落したということは、戦いで敗戦し、国を守れず、国民の安全が脅かされることを示唆している。
一方、「橋」は先述したように両サイドを結ぶ役割がある。将兵が行軍中ということは、両サイドは敵対関係かもしれない。「橋」の役割を象徴的に示す歴史的橋が存在する。欧州戦後最大の民族紛争の舞台となったボスニア・ヘルツエゴビナのモスタル市には「スタリ・モスト橋」がある。ノーベル文学賞受賞作家イヴォ・アンドリッチに「ドリナの橋」という小説があるが、そのモデルとなった橋が「スタリ・モスト橋」だ。
モスタル市中心部をネレトバ川が静かに流れている。オスマン帝国時代に繁栄した旧市街には主にイスラム系市民が住んでいる。それを包囲するように広がる新興住宅地には近代的な建物が目立ち、クロアチア系住民が多く住んでいる。その町の風情はオーストリア・ハンガリー帝国の影響が色濃い。「橋」が異なる2つの民族を結んでいる。
「将兵」と「橋」の意味を理解したうえで、まとめてみよう。韓国将兵が行軍中、「橋」が壊れて転落した、ということは、想定外のことが生じ、「橋」は崩壊し、前進できなくなった。そこで韓国とその近隣諸国との関係を思い出す必要が出てくる。韓国将兵が進もうとした先は、日本海を渡った日本を意味していたと受け取れる。韓国が反日攻勢をかけ、相手側(日本)に侵攻するが、突然、その両サイドを結ぶ「橋」が壊れ、将兵は行進できなくなった、というわけだ。もう一つの解釈は、隣国・北朝鮮との関係で問題が生じ、南(韓国)と北を結ぶ「橋」が壊れたことを意味しているのかもしれない。
明確な点は、両者には警告が含まれていることだ。文字通り、解釈すれば、「韓国の安全・外交」が危機に直面していること、そして韓国の国運が傾いてきていることを象徴的に表していると解けるのだ。
忘れてはならない点は、「時の印」はあくまで警告だ。その印を深刻に受け止め、対応するならば、事が具体化する前に解決できるはずだ。「完全予定説」を主張したジャン・カルヴァンの神学の世界ではない。個人、民族、国家がその責任をシリアスに受け取り、悔い改め、再出発するならば、国運を立て直すことができるはずだ。朝鮮日報の記事は短いが、韓国民族に「時の印」を知らせているように感じるのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年5月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。