「エスタブリッシュメント」の正体

池田信夫さんがアゴラ読書塾でやっておられる丸山真男研究を通じての戦前と今現在の比較評論を敬して遠くから眺めているのですが、近衛文麿を中心とした「近衛ブレーントラスト」や「重臣リベラル」の話の片鱗をうかがっているうちに、大昔に読んだ本を思い出しましたので、ご紹介させていただきます。


知る人ぞ知る、ジェレミー・パックスマン氏は最近引退するまでイギリスBBCの名物プレゼンターでした。その攻撃的なインタビュー・スタイルから政治家たちに恐れられていましたが、真面目で思慮深いジャーナリストとしての一面も兼ね備えていて、1990年に出版されたこの本もそうしたパックスマン氏の後者の一面を物語っています。

「Friends In High Places」、つまり「地位の高い(要職・要路に就いた)友たち」とタイトルされた、イギリスのエスタブリッシュメント(支配階級)を研究・分析した著作です。

私のイギリス留学の開始と同時期に出版されたこの本のペーパーバック版から、私は新たにそこで生活を始めた国の内部事情を「へぇ~...なるほどね~」と興味深く読まさせていただいたわけです。四半世紀前のジャーナリズムですので、文中にある時事問題のレファレンスなど、時代を感じさせてしまうところもありますが、今読み返してみても再読に堪える内容だと私は思います。

各章ごとに、イギリスの支配階級といえばお約束の観がある「貴族」「叙勲制度」「パブリックスクール」「大学」といったシステム・制度・組織から、「中央政府官僚」、そして「行政法人・非政府組織(例えばBBC)」「英国国教会」などといった特殊な分野まで、パックスマン氏はそのジャーナリストとしての目を光らせつつ、ユーモアを交えた分析を披露しています。

しかし各章を通じたテーマは、序章のイントロダクションで触れられているパックスマン氏とかつての英国政界の異端児、故イーノック・パウエル氏のインタビューです。

パックスマン氏の「エスタブリッシュメント研究」を評してパウエル氏曰く、

「キミは電気のことを研究しているのに、電線ばかりを見ているね。」

パックスマン氏の結論は、イギリスにおけるエスタブリッシュメントとは、それを構成する個人や組織・制度に代表されるのではなく、その本質において「共有された意見と視点」であるということ。そしてイギリスにおいては他の国家と比べて特にエスタブリッシュメントを一定の組織・制度に代表させたり、同一視させることによる固定化をあえて避け、そこに恣意的に競争と不安定要素を導入して社会の健全性を保持するべきだという思想的潮流があることです。

もちろんだからといって、イギリスの根本的に保守的なエスタブリッシュメントを構成する組織・制度が、各々に健全な新陳代謝を通じて順調にリニューアルされて存続しているわけではありません。しかし、イギリスのエスタブリッシュメントを構成する組織・制度の大部分は17・18世紀あたりに確立されて以来存続しているものが多いので、試行錯誤の歴史を通じてそのサバイバルと存在理由の保持に長けていると言えると思います。

ひるがえって日本のエスタブリッシュメントの本質とはなんなのでしょうか。

日本のエスタブリッシュメントを構成する組織・制度は明治維新以来の比較的短い歴史経験を有し、「太平洋戦争の敗戦と戦後の占領」という大きな失敗経験がその生い立ちの記憶を独占しています。(日露戦争の勝利はあえてこの「大失敗」への助走としてとらえさせていただきます。)そうした状況下で、エスタブリッシュメントを構成する組織・制度の各パーツに共有されるサバイバルのための知恵は貧しく、結局はそれらの各パーツそれぞれの既得権益の保全という底の見えやすい基本行動原理がその思考と行動を左右しています。いわゆる「国益の前に省益」などという官僚の行動パターンがその如実な現れでしょう。そしてこれは「エスタブリッシュメントを一定の組織・制度と同一視してこれを固定化しない」という、エスタブリッシュメント保全ルールの第一規則に違反しているのです。

こう考え始めると、源頼朝を戴いた鎌倉幕府も、在所地主であった武士階級の既得権益保全を最重要目的とした「エスタブリッシュメント」だったので、源氏三代の滅亡により血統による「正当性」を失った後も存続したのだなということを思い起こしたり、鎌倉幕府執権としての得宗北条氏こそは日本史において目に見える主権者としてはもっとも輪郭がはっきりした存在であったことをあらためて認識して、だからこそ1333年(イチミサンザンなどと語呂合わせで覚えましたっけ)に最も悲惨な形で崩壊したのだなと思い当たり、まったく後醍醐天皇が自らのエゴを中国製、産地直送の朱子学によって正当化することを得なければ日本の社会はもっとオーガニックに発展したのではなかろうか...などと考えを馳せ巡らせるのですが、これ以上は度の過ぎた脱線になるので筆をおきます。

オマケ
それこそ「I AM NOT ABE」どころではない、パックスマン氏によるテレビ・インタビュー、死屍累々の華やかな軌跡。