厚労省と左翼の家父長主義が守る「正社員の協同体」

国家公務員労組なんて相手にする気はなかったが、城繁幸氏が指摘しているので補足しておこう。彼らのいう「老人の貧困率」の話は、資産格差を意図的に無視する使い古されたデマである。問題は、なぜ左翼がこういう既得権擁護に回るかだ。

それは笠信太郎が「腐りかけた自由主義を切って捨てよ」と主張したのと同じだ。彼は元は大原社会問題研究所の研究員だった。こうした温情主義が、左翼とファシストの共通点だ。笠が戦後は「安保反対」に転じたように、社会主義と国家社会主義は紙一重なのだ。


温情主義はpaternalismの訳だが、これは家父長主義とも訳す。英辞郎では「個人の要求に応えているように見えるが、権威を崩さずに逆に個人の自由や責任を無視するような行動」と説明している。つまりこれは父の子に対する温情であり、一つの家族の中の上下関係を前提にしているのだ。

笠の温情主義は、日本が「アジアの家長」として中国や韓国を近代化してやるという夜郎自大になった。彼らには「侵略」という意識はなく、英米の自由主義に対抗して東亜に協同主義の理想郷を建設するので、その真理にめざめたアジアの人民は日本についてくるはずだと信じ、それを朝日新聞は宣伝した。

このパターナリズムは、現代の左翼まで受け継がれている。21世紀になっても「労働力商品の価格は需要と供給に任されてはならない」と主張する五十嵐仁氏は、法政大学大原社会問題研究所の名誉教授である。

笠の協同主義は三木清の受け売りだが、これは当時の「革新官僚」にも広く受け入れられた。その社会政策の伝統は「メンバーシップ」を美化する濱口桂一郎氏にも受け継がれ、正社員という家族を守る家父長主義が厚労省のセントラル・ドグマである。

厚労省が父なら、それに守ってもらう正社員は子であり、その代表が左翼である。父と子の共通点は、家族以外のメンバーを排除することだ。東亜の協同体を提唱した朝日新聞が英米との戦争を熱狂的に支持したように、正社員の既得権である厚生年金を守るためには、国家公務員労組はどんな嘘でも詭弁でも使う。

いま起こっているのは、正社員と年金受給者の「協同体」を守るために、厚労省と左翼が非正社員と若者を排除する戦争である。かつての戦争と違うのは数の上では前者が優勢に見えることだが、それはこれから生まれてくる圧倒的多数の被害者の選挙権を認めない「民主政治」のトリックにすぎない。