総動員体制を支えた労使「一家」の終わり

61512日の衆議院社会労働委員会で、労働者派遣法案の審議打ち切りに抗議して乱闘があり、渡辺委員長が首に負傷した。民主党の長妻委員長代行は「委員長に飛びかかるのは厚労委メンバーのみ」などと書いた作戦メモを公開した。

このように派遣社員を差別する民主党の方針は、戦時体制を主導した無産政党の温情主義を受け継いでいる。それは国民を戦争に総動員する体制だったが、戦後は成長という目的に向けて資金を重点配分し、預金者は低金利で資本を提供し、労働者を企業別組合で「一家」として動員する体制が続いてきた。

一定の目的に向かって、国家が経済全体の資源を集中する総動員体制は、必ずしも不合理なシステムではない。イギリス政府がジェントルマンと結託して世界の植民地を征服した国家資本主義は、その史上もっとも成功した例だろう。その後の大陸諸国も、絶対君主や独裁者によって国家を統一し、国民を戦争に総動員した。

20世紀前半にソ連が(予想外に)成功した原因も、資本蓄積の初期には資源の総動員が必要なためで、「見えざる手」は必ずしもうまく機能しない。最近の開発経済学では、戦後の日本も同様のビッグプッシュの成功として説明することが多い。

ここで重要なのは、資本主義の初期に必要なのは資本蓄積だけではなく、その消費者だということである。労働者は単なる生産要素ではなく、商品を買う購買力をもっていなければならない。多くの発展途上国が失敗したのは、富が一部の富裕層に片寄り、大部分の労働者が過少消費に陥るためだ。

だから資本家や地主から徴税して社会保障で労働者に再分配する社会政策は、総動員体制の一環だった。戦後の成長率が上がった一つの原因は、極貧の小作農がいなくなり、多くの国民が「中流化」して消費者になったことだ。戦時体制の軍部独裁は、戦後は官僚機構による開発独裁として機能したのだ。それを補完したのが、「一家」として企業を支える労働組合だった。

これによって日本は、イギリスが400年かかった工業化を100年足らずで実現したが、いま直面しているのは開発独裁から普通の成熟した資本主義への転換である。老人に所得を再分配する社会保障は、現役世代の人口が増えて経済が成長するときは可能だが、労働人口が毎年1%以上減ってゆく日本ではもう維持できない。

いま終わろうとしているのは憲法第9条でできた「戦後レジーム」ではなく、国家総動員体制でできた「戦時レジーム」だから、そのメンバーだった労組はレジーム転換を阻止しようとする。彼らが「一家」の団結を脅かす派遣社員や契約社員を排除するのは当然だが、労組の既得権を暴力で守ろうとする民主党は、彼らとともに消えるしかない。