憲法を守りさえすれば平和が保たれると考える護憲派は、憲法を「唱えれば願いがかなう魔法の言葉」だと思い込んでいるようだ。だから改憲=壊憲、改正は平和をも壊すのだ、とまるで改憲がお札を破く罰あたり、禁忌に触れる行為であるかのように言う。
一方、改憲派も、憲法を変えさえすれば、強く自立した日本になると考える向きが多い。憲法を「敗戦国日本に掛けられた呪い」だと思い込んでいる。憲法改正で、立ちどころに日本は復活し、自衛隊は世界最強の軍隊となるかのようにとらえている。
もはや呪術的世界。憲法の文言の暗示が「効き」過ぎている点で、どちらも同じ穴のムジナになりかねない。
多くの国民にとって「九条で平和、改憲=壊憲論」「日本が最強になるために! 憲法改正(破棄)論」の二択しかないように見えてしまうのは少々きつい。
そもそも憲法について熱心に勉強し、「変えるべきか、守るべきか」を判断している人はそれほど多くはないだろう。有権者の大半は「変えた方がよければ変えればいいし、変えない方がよければ変えなくていい」と言ったところだと思う。そこへきてこのような呪術的な話をされても「乗れない」のが本音だろう。
九条が変わらないうちから日本には実質的な軍隊が組織され、仮に護憲派であってもさすがに「自衛隊をなくせ」とまでは言わなくなった(自衛隊は災害救助隊にすべしという人が今もいないではないが)。である以上、憲法と自衛隊の存在の齟齬は理解しているだろう。
憲法を大事にする側の護憲派が、その中でも最も大事な九条が現実と齟齬をきたしている状態を放置して、なぜ平気なのだろうか。このままでは憲法は文字通り「空文化」するだろう。自衛隊に「歯止め」とやらをかけたいのであれば、なおのこときちんと憲法に明記したほうがいい。
(ただし、「自衛隊を縛っておかないと、政府ともども暴走する!」という人たちが、にもかかわらずお隣りの中国・北朝鮮という非民主主義国家の暴走を「恐れない」のは問題である。中朝よりも日本の暴走を怖れているのだ。不思議なことだ。
中国は既に南シナ海を侵攻しているし(「進出」ではない。言い換えはやめよう)、第三者的に見ても、日本より中朝の方が暴発・侵略・隣国攻撃の危険性は高い。にもかかわらず「中朝より日本が怖い!」のが「平和を愛する中国・北朝鮮の公正と信義に信頼して」いるせいだとすると、憲法前文はやはり魔法の言葉で、護憲派は催眠術レベルの暗示にかかっているということになってしまうのだが……)
「解釈改憲を許すな」というなら、その余地がないように現実に沿った憲法に改め、憲法の枠によって自衛隊を定義すべきだ。
私は改憲派だが、その最も大きな理由は、九条は自衛隊が存在しているという現状と合っていないと考えるからだ。しかも自衛隊をなくすべきだという意見には現実味がないことから、現状と憲法を一致させた方がいい、ということに尽きる。それをしてこなかったから、解釈の「余地」が広がる一方となり、憲法への信頼が損なわれているのだ。
何より、自衛官の立場を考えてほしい。「自分の職業が憲法違反かもしれない」状況で命を賭けろというのは酷な話だ。安保議論が持ち上がるたびに「違憲か合憲か」と毎度毎度話が振り出しに戻る。
朝日などは「どうせ憲法改正なんて出来やしない」とタカをくくって、「安保法制を通したいなら改憲が先だ」「でも憲法は経典だから変えてはならない」(キリッ)と開き直っている。自分たちの主張が如何に憲法を毀損しているかも気付かずに……。
「憲法変えるのは絶対嫌、米追従も嫌、でも国連任務に参加しないひきこもり日本も嫌!」といった護憲派のわがままぶりは、改憲派だけではない多くの国民を白けさせていることだろう。
広く一般に改憲議論を起こす必要があるが、その際、改憲派が気をつけなければならない点がある。
改憲派がよく指摘する憲法の成立過程や前文の他力本願ぶりは確かに重大な問題だが、憲法に特段のこだわりがない人からすると「今まで平気だったんだからこれからも平気だろう」と考える人が大半だろう。なにせ、「押し付けだ」と言いながら既に七十年近く使って来ているのである。
また、行きすぎもある。憲法成立の事情をそれほど知らない国民に対して一足飛びに「大日本帝国憲法に戻すべきだ!」「憲法破棄!」と言えば、それが改憲派の「筋」だとしても、よほどていねいな説明を前提としなければ、誤解を受けかねない。
「ちょっと変えるくらいなら仕方ないと思うんだけど、気を許すと破棄だとか、帝国憲法万歳だとか言い出すから、危なくておちおち改憲に賛成できない」と言われてしまい、改憲さえもどんどん遠のくことになる。これでは護憲派の思うツボだ。まずは何を置いても九条を何とかするのが先だ。
「憲法は確かにワケありの出自ではあるけれど、それでも七十年間使って来た。これからは憲法を国民の手で育てていく必要がある。憲法を尊重しつつ、現状に合うように綻びを繕ってこれからも使い続けよう」
改憲・護憲の骨がらみの議論にとらわれず、議論の入り口でフラットに考えてみると、これがそんなに難しいことだとは思えない。憲法を改正できれば、改憲派は実を取れるし、護憲派も戦後憲法を今後も使い続けられる。
改憲と、憲法の尊重は矛盾しない。
梶井彩子