トップが誇示したいこと

岡本 裕明

どんな人でもトップになる時は大丈夫だろうか、と不安がよぎるものですがトップになってしばらくすると堂に入って采配を振るうようになります。その采配の後ろには企業なら業績を上げる、政治家なら名を上げることでしょうか?その際、一番困るのは組織を如何にも代弁しているかのように未来の政策、施策、方針、目標を作り上げ、組織や国民がきりきり舞いになることではないでしょうか?

企業のトップが交代することで社風がガラッと変わることにしばしば遭遇します。株主総会が終わり、借りてきた猫のような面持ちでひな壇で支援を乞う姿からすっかり豹変するのは指名され、承認を受けたというお墨付きで水を得た魚となることでしょうか?

今日のニュースでびっくりしたのがホンダの社内公用語を英語にするという記事でしょうか?ホンダの社長は伊東孝紳氏から八郷隆弘氏にバトンタッチされたわけですが、伊東前社長はあらゆる意味で不思議だった方であります。その中で記憶にあるのが国内で英語の公用語や会議での英語化を進める企業が増えていく中での伊東社長の発言でした。たしか着任からまだ間もないころでしたが、日経ビジネスのインタビューで「日本で英語を使う理由はない」という趣旨の発言をされていて違和感を感じたことがあります。

日本語を大切にする気持ちは分かりますが、国際企業が英語を否定されたわけですから後れを取るだろうな、と思っていましたが、事実そうなりました。が、株主総会が終わって早々、今度は社内公用語が英語という180度転換される側としてはついて行けなくなる人も出てきます。トップが自分の色を出すのは構いませんが、部下や組織が自分の意のままに操れると思うと大きなしっぺ返しがやってきます。なぜなら企業の場合はどうしてもその会社に勤めなくてはいけないという理由はなく、転職という手段があるからであります。

これが国のトップとなると話は別であります。なぜなら原則的には国民はその国に所属するのであり、国家間の移動は原則としてないことが前提になっています。勿論、移民、国籍取得の移住、難民、あるいはEUでの労働の自由などの手段はありますが、それは汎用的なものではなく、一定の要件を備えることが必要です。

つまり、国家のトップとは国家が安定し、その国民が永続的に幸せでかつ、過去の延長線上に未来があるという可視的政策が要求されます。変化を伴うものであればそれが十分な時間と国民への説明、説得があってのことだろうと思います。

ギリシャの間違いとは若く、血気盛んなチプラス首相が自己主張を作り上げ、国民に蜂起することを求めたことにあります。多くのギリシャ人はギリシャから逃れることが出来ないにもかかわらず、国家が破たんする意味を十分に考える余裕がなかった気がします。それはチプラス首相がどうにかしてくれるという期待を煽ったこともあるでしょう。私はチプラス氏が首相になった時のこのブログにユーロ圏のトップは百戦錬磨の強者ばかりだからそれを突破するのは難しいと書かせていただきました。

銀行が閉鎖されたことで国民は気がつき始めるでしょう。逆にここまで追いやったチプラス首相の責任は非常に重いですが、彼がそこまでこだわったのは彼の政権が政策を変えた時点で崩壊するという保身でありました。連立与党を組んだ相手は右派であって、たった一点の結びつきの「反緊縮」がなければ連立は瞬く間に崩れ去り、チプラス政権は崩壊するはずでした。氏がどんな苦しい会議を終えた後でもあたかもヒーローのごとく、手を振る心理とはトップにいる居心地の良さではなかったでしょうか?政治家冥利なのでしょうか?

トップに立つ時、前任の否定から入るのは常套手段。日本でも自民党から民主党に、あるいは民主党から自民党に変った時、国民が右往左往するほど振り回されました。アメリカでは二大政党が交互に変わるたびに1期4年か2期8年の政権とみているのでしょうか?中国に於いては習近平国家主席の次が読めません。国民が国家に尽くさず、自分の懐を温めるのに忙しくなるのは自然の流れなのでしょうか?

トップの使命とは世の中の変化を先取りし、国民や組織に急激で無理な変化を与えずにスムーズな方向調整をすることではないでしょうか?自己主張を否定するものではありませんが、組織が巨大化すればするほど末端までその意図をきちんと伝えるには時間とエネルギーが必要になることは確かでしょう。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 6月30日付より