昨日の記事には予想以上の反響がありまして、共感も多くいただけた反面、
「国民の声を軽視するとは何事だ」
「政治家としての資質がまったくない」
「最低」
等など、手厳しい批判もありました。
さすがに悔しいので(苦笑)、まず冒頭に所見を述べておきます。
(先ほど見に行った国会前の様子。若者の姿もチラホラ)
政治家がデモを恐れない、一過性のものだと考えることは、必ずしも国民の声を軽視しているわけではありません。
しかし、民意として最も大事なものは言わずもがな「選挙」です。
選挙で最大の信託を受けた政治家・政党の意思決定が、一時的なデモで覆るようなことがあれば、それこそ民主主義国家と言えるのでしょうか?
もちろん、今の選挙制度は完璧なものではありません。
一票の格差などの問題もあるし、重要政策ごとに国民投票を行い、4年間の空白を埋める仕組みも必要だと思います(我が党の直接民主型政治!)。
それでも現行、客観的に民意を図れる唯一の方法は選挙であり、少なくとも日本はそれが制度上(不正などなく)健全に機能しています。
だからこそ、民意を代表できる唯一の手段は、選挙で当選して政治家になることです。
デモも憲法で認められた権利ですし、表現の自由もありますから、当然そのすべてを否定するものではありません。一定の効果はあるでしょう。
しかしながら、
選挙>>>デモ
の優先順位が政治家たちの頭の中にあるのは当然であり、むしろそうじゃなければけっこうヤバイだろうという話です。
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デモなどの市民運動に熱心に取り組む人たちに、
「選挙に出て、政治家になった方がいいのではないか?」
と直接聞いたこともあります。
返ってくる答えは様々ですが、
「政界の外から、意見を言う存在も必要」
「もう少し力をつけてから挑戦したい」
「政治家になるのは、60歳くらいになってから」
というものが多かったように思います。
そうした考え方を否定するものではありませんが、正直なんだか、政治(政治家)の優先順位って低いんだなあ…と感じたりします。
一方でそんな彼らが意見をぶつけようとしているのは、政治家の二世三世や、強固な業界団体の支持に支えられた、政界のスーパーサラブレットたち。
あるいは、地盤・看板・鞄のないところから、文字通り地べたを這いつくばって「民意」という名の票を集め、自力で議員バッヂを勝ち取った叩き上げの猛者たちです。
タイプは違いますが、政治を一生の生業にしようと考えている彼らに対し、「デモ」という一瞬の風が影響を及ぼすことは、極めて難しいのではないでしょうか。
なんというか、存在している時間軸が違いすぎるんですよね。。
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しつこくて恐縮ですけど、デモは無意味ではありません。
これまで興味のなかった人が、政治に飛びこむきっかけになるのであれば、それは素晴らしいことです。
しかしもし、それ「だけ」で終わるのならば、無意味どころかマイナスにさえなります。
「あれだけ頑張ったのに、我々の声は届かなかった」
「こんなに大きな民意を無視した、政治・政治家たちは最低だ」
「もう勝手にすればいい!」
そんな負の感情と諦念を持つ人を生み出してしまう…それを私は一番危惧しています。
私事で恐縮ですが、自分は少なくとも10年間、
「政治を変えたい」
「政治家になりたい」
と言い続け、そのためにあらゆる活動をして、2年前にようやくスタートラインに経ちました。
文字通りすべてを投げ打ってしまい、戻るところも特にないです(苦笑)。
まだまだ本当に無力で、実現できたことは少ないです。
目に見える変化を起こすには、あと20年間はかかると思っています。
そこから目を背けるつもりも、逃げるつもりもありません。
「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」-マックス・ウェーバー-
デモ「だけ」で政治は動きません。
ここは単なる出発点、この大いなる挫折からスタートして、本当に政治を変えたいなら、一緒に政治の世界で闘いませんか?
明日からは地方議員としての情報発信に戻ります。
それでは、また明日。
おときた駿 プロフィール
東京都議会議員(北区選出)/北区出身 31歳
1983年生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループで7年間のビジネス経験を経て、現在東京都議会議員一期目。ネットを中心に積極的な情報発信を行い、地方議員トップブロガーとして活動中。
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