リア充としての国会デモになんの意味があるのか --- 佐藤 正幸

相変わらず国会前や官邸前の反戦デモが喧しい。反戦を叫ぶことに筆者は反対しないし、自民党のやり方がどうとか安倍総理がどうとか言うのも自由だと思う。

しかし、敢えて言おう。国会前のデモなどなんの意味も持たないと。強いて言うなら声を直接届ける程度のものだ。時の政権にとっても与党にとっても痛くもかゆくもない。

彼らの方向性は根本的にズレている。

真に国会で安保法制に抵抗したいのなら、国会の中の議論に加わらなくてはならない。

つまり自分たちの思いを伝えてくれる議員を国会に送り込み、明確に安保法制に反対する政党を応援し国会の中で議論をつくる努力をすべきだろう。なんのためにいつ も選挙で政治家を選んでいるかもう一度胸に手をあててみて考えるべきだ。

もっと言えば何曜日に何万人集まりましたみたいなことをやっているのなら反安保法制を旗頭にした政党や政治集団でも立ち上げてしまえばよいのだ。

残念なことにこの国の法律は立法府である国会で決まる。その中で発言する権力があり、審議する機会を与えられるのは国会議員だ。

渋谷で若者が声をあげるのもいいだろう。国会前や官邸前に何万人集結するのもいいだろう。

しかし彼らがいかに声を上げたところでそれは場外試合に他ならない。試合の前にルールを確認しないと勝負にならないのだ。

FacebookやTwitterで流れてくる彼らの反戦は単なるリア充に終わってしまっているのではないのか。

風向 きが危ないからといっていきなりデモを始めるのではなくいつもの選挙はこういう事態のためにしているんだということ。ましてや普段選挙にも行かない人が「いてもたってもいられない」とデモに参加していることに違和感をもっているのは筆者だけではないだろう。

佐藤 正幸
World Review通信 アフリカ情報局 局長、ラジオパーソナリティー、アフリカ料理研究家、元内閣府大臣政務官秘書・衆議院議員秘書
静かな夜にワインとビスマルクを