なぜ「集団的自衛権」が必要なのか考える --- 中井 友之

安保法案の議論で、反対派からは「戦争」が絶対悪であるかのような論調が目立つ。

しかし、世界を見渡せば、現在でも、某国家や某組織のような、武力によって自らの権益を拡大しようとする輩がうようよしている。「戦争」や「武力」を全否定していれば、悪がのさばる暗黒の世界が到来してしまう。反対派の政治家たちは「若者を戦場に送るな」「血が流れる」と言っているが、その嫌な仕事も誰かがしなければならないのだ。

グローバル化が進んだ現代では、昔に比べ世界の平和と安定は日本の国益に直結するようになっており、欧米からは日本も軍事的役割を果たすことを求められている。日本の国益や「国家の存立」に関わる事態が海外で発生したときでも後方支援すらしないというのでは、前面に出て血を流している欧米からは不満に思われても仕方ない。

中国が尖閣諸島を軍事侵攻したときや、異なる主張が衝突したとき、わざわざ日本を支援、支持しようとも考えないだろう。欧米と日本を離反させ、尖閣問題での武力行使を可能にするというのが中国の基本戦略である。いざ日中開戦となれば、後方支援どころではない血みどろの殺し合いの末、尖閣を奪われてしまうことになりかねない。結局、それを避けるために、日本は中国の不当な要求も次々のまざるをえなくなってくる。

日本は中国、ロシア、韓国、北朝鮮という、友好的でも紳士的でもない国に囲まれており、安全保障環境は極めて厳しい。特に日本の経済力が低下し中国が台頭した現在では、アメリカの国力・軍事力という後ろ盾なくして外交は成り立たないし、何もしないで欧米が日本の側に立ってくれるわけでもない。中国の不興を買ってでも支持するだけの価値が日本にあるのかが問われる。

その意味では、価値観を共有していて、かつ実際に貢献できるということを示さなければならない。日本が軍事的に期待できないと見れば、東南アジア諸国も中国に傾斜していくだろう。

この日中のパワーバランスの変化やグローバル化の中でも「一国平和主義」を貫いていくというならば、有事のときでも他国に頼らず自分の身は自力で守るという覚悟と能力が必要だ。

実際、「永世中立国」をうたって集団的自衛権を認めていないスイスは、現在でも国民の7割の支持の下で徴兵制を保持し、有事の際の民兵を確保している。

しかし、日本の安保環境では、徴兵制の導入や軍備増強による独力での防衛は非現実的である。時代の変化に対応して日本の平和と安定、外交力を保つには、集団的自衛権を認めて、米軍との連携強化や、欧米が求めている軍事的貢献を行っていくしかないのだ。憲法改正の見通しが立たない以上、憲法解釈の変更という手段を取ることもやむを得ない。今回の安保法案では活動の拡大はかなり限定的だが、姿勢だけでも見せておく必要がある。

現に、集団的自衛権の行使容認による日米同盟の強化が進められて以降、日中首脳会談や財務対話が開かれるなど、中国は軟化してきた。民主党政権下で日米同盟が弱体化したときには尖閣問題が浮上し、韓国大統領の竹島訪問、ロシア大統領の北方領土訪問が強行された。

このような現実が無視され、非合理的な精神論がはびこり、国際的に孤立し、中国に叩きのめされるというのでは、戦前の過ちの繰り返しである。叩きのめされてから日米同盟の重要さに気づいてももう遅い、アメリカに高い代償を払わされるか、完全に見捨てられ中国・韓国・北朝鮮・ロシアに好き放題にやられるか、どちらかとなるだろう。

中井 友之