関西の安藤忠雄が、日本の安藤になろうとしていたころ、関西のTVは、彼のことをしばしば特集していた。話のおもろいおっさんが、寄せ集まりのような若い衆とケッタイな建物をつくる。番組では面白いところだけ選りすぐったのだろうが、ドキュメンタリーとしてサマになる人物だったのだ。ここ京都にも安藤作品がチラホラ建ちはじめていて、それなりに好奇心をそそる外見だった。
やがて安藤は世界のアンドーとなって、それはそれでよかったのだが、今回の国立競技場騒動ではちょっとびっくりした。
まず審査員だったということ。なぜ選手としてコンペに参加しなかったのだろう。20年前のアンドーなら、絶対レフェリーやジャッジになったりはしない。俺はグローブをしてリングに上る!だったのじゃあなかろうか。
びっくりしたのはこれだったが、がっかりしたのは弁解である。
デザイン決定後の基本設計や実施設計には
「審査委員会はかかわっていない」
2520億円という金額に関しては
「何でこんなに増えてるのか、分からへんねん!」
これは漏れてきたコメントなのだが、面白くともなんともない。斯界一の権威が「なんでこうなったのか知らん判らん」では、収まるものも収まらない。現代の建築家は、梁の大きさやら床の面積やらから、工期や予算を叩き出してみようとはしないようである。
しかし記者会見ではこんなことを言っている。
「1964年の東京オリンピックとは時代が違って、コンピューターで徹底的に解析することによってできる美しい建築があるだろうと思っていた」
彼が審査にまわったのは、どうもこのあたりに理由があるようだ。
建築家と建築が、工学から離れて、芸術からも離れていって、経営学の範疇に入ってしまったのが現代であるわけだが、その先端を走っていたはずの彼でさえ、もう新しい建築の方向を的確に掴んで表現することはむつかしいのだろう。レフェリーという名の隠居である。
建築学会賞を受賞した作品であっても、その建築家にヒットが続かないとなると容赦なく壊される。建築家は存命中に代表作を失ってしまうことさえあるのだ。施主が建築家に要求するのは、構造でもなく、使い勝手のよさでもなく、まずは新奇さとその建築家の持つ名声なのであろう。程度の差こそあれ安藤の作品も似たような工程をたどる。今度の一件はそのスピードを早めたようである。
しかし、である。事態がここに至るまで「選手の目線で競技しやすい競技場を作るべきだ」という主張はどのくらい出たのだろうか。全然聞こえてこない。ある人が「鳥じゃあるまいし、こんなもの俺は真上からは見ない」と言っていたが、その通り。
若井 朝彦(わかい ともひこ)
書籍編集者