「炎のランナー」という有名な映画に、オリンピックの優勝候補である主人公がユダヤ教徒で、100m競争の決勝の日が安息日(日曜)であることを知らされる場面がある。結局、彼は出場を断念するのだが、これは実話である。ユダヤ人にとって律法とは、それぐらいきびしいものだ。
それに比べて、JBpressでも紹介したように、朝日新聞のアンケートに実名で「自衛隊は憲法違反だ」と断定した憲法学者42人のうち、それを改正する必要があると答えた人はゼロだ。自衛隊を解散しろという人もいないので、全員が自衛隊は違憲のままでいいと考えているわけだ。これはユダヤ人ならずとも、普通の法治国家ではありえない無法状態である。
川島武宜は『日本人の法意識』で、こういう日本人のいい加減な法倫理をアメリカの禁酒法と日本の売春禁止法を比べて語っている。法律違反は日常的だが、ふだんは警察が「お目こぼし」する。どういうとき法律を厳格に適用するかが「お上」の裁量で、それが彼らの権力の源泉になっているという状態は、江戸時代とほとんど変わらない。
これは法の規範性が最終的には神の権威に依存している西洋との違いだろうが、売春ぐらいならともかく、世界第5位の規模をもつ軍隊が違憲状態のまま、文民統制も軍法会議も有事法制もない状態は、かえって危険だ。
衆議院では「どこまで合憲か」という重箱問答が繰り返されてうんざりしたが、実際の戦争でそんな細かい場合わけができるはずがない。戦場にルールはないので、敵が自由で自衛隊だけが拘束されていると、彼らのリスクが高まる。
戦後70年を節目に、第9条の第2項だけでも改正(あるいは削除)し、自衛隊を正規軍として認める議論を始めてはどうだろうか。少なくとも民主党や維新の党の一部には同じ意見の人がいるはずだから、これを軸にして政界を再編してもいい。これは日本に立憲主義を確立し、法の支配を徹底するチャンスである。