学校で生徒が問題行動を起こすと、教師はその生徒を呼んで直接指導にあたります。行き違いや誤解があるといけませんので、まずは事実確認から入ります。確かな事実が確認されるまでは、なるべく穏やかに話を進めなければなりません。
もちろん、いきなり犯人扱いするなどはもっての外です。大声を出したり、肩を強く揺すったりするのもダメです。
教師と生徒との信頼関係があれば状況はかなり改善されますが、それでも生徒が最初から全てを正直に話してくれることは、通常残念ながら少ないのが現実です。指導は慎重に、そしてねばり強く進められます。従ってえらく時間がかかります。
集団での問題行動になりますと、複数の教師が個別に指導にあたりますので人手もかかります。個別に事実確認をした後の、各内容の突き合わせ作業もありますので、ここで食い違いがあれば更に時間がかかることになります。
生徒への指導が一段落したところで、教師は生徒の親にも事実と指導の経過を知らせます。実はここからが最も難しい局面になります。
通常は親と教師とで、今後の指導の協力を最後に確認することで話を終えます。
ところが、事実確認が十分ではなかったり、親と教師との信頼関係が出来上がっていないと、後から問題が発生します。帰宅した我が子から改めて事情(子どもは親に自分の都合の良いことだけしか言わない、ことが多い)を聞いた親のなかには、「うちの子だけが一方的に悪いわけではないのに……」とか、「先生の話の一部に事実との食い違いがある」等、学校の指導に疑問の声をあげ、非難の目を向けてくることがあります。
生徒同士の喧嘩でケガをさせた方の親がもしこの状態になりますと、なかなか相手の家に謝罪やお見舞いには行きません。当然、ケガをさせられた方の生徒の親には、学校の指導への不信感が芽生えます。
学校は双方の親の間に挟まれて、「学校の指導はどうなっているんだ」と双方から抗議を受けることになります。やがてどちらかの親が教育委員会へ話を持ち込み、警察や弁護士が入ったり、ひどい場合は議員さんまでが登場してきます。話はますますこじれ、こんがらがっていきます。時間は延々とかかり、そして教師はくたびれ果てていきます。
標記のタイトルには誇張がありますが、「おまえ、何でこんな馬鹿なことをやったんだ。もう2度とやるな。分かったか!」程度の一喝で済んだ時代も確かにあったようです。もちろん当時もその根底には、生徒や親と教師との信頼関係が大切だったわけですが、今やその必要性は当時とは比較にならないくらい高まっていると思います。生徒指導の困難度とそれにかかる時間はますます増加しています。
天野 信夫
無職