緒方貞子氏に見る「官僚的発想」の限界

日本経済新聞の「戦後70年これからの世界」というインタビュー連載13日付けで、国際協力機構特別フェローの緒方貞子氏が中国に関する質問に、こう答えている。

――中国との関係で日本は戦後、試行錯誤を繰り返してきました。領土や歴史問題の対立が深まり、関係は一向に安定しません。 「経済的には中国との協力なしにはやっていけない。そのことは政府より、むしろ経済界がよく分かっている。日本側の一部の層に安易なナショナリズムがある一方、中国側の一部にも傲慢な傾向がみられる。どうすればよいか、答えは簡単に見つからない。だが、日米関係を強めれば、日中関係も安定するというほど状況は単純ではない」

可もなく不可もなく、当たり障りのない優等生の答弁という印象だ。学者であり、かつ国連の高級官僚らしい官僚的発想に則った回答と言える。

もっとも、緒方氏が国連難民高等弁務官として努力した実績は評価している。日経の質問が突っ込み不足だったとも言え、緒方氏をことさら貶めるつもりはない。
 
ただ、優等生の高級官僚にはこうした答弁が目立つ。その一例として、引用したにすぎない。具体性がなく、有益で役立つ答弁ではないということだが、それ以上に問題にしたいのは「経済的には中国との協力なしにはやっていけない」という回答に見られるように、現状を固定的に考える通俗的な解釈に従い、考え方に飛躍も発展性もないということだ。

中国の経済的影響力が大きいのは確かだが、それは今だけのことだ。中国との外交関係が悪化して経済関係が大幅に細くなり、断絶したとしても、悪影響を受ける期間はせいぜい5~6年程度だろう。

中国は今でこそ、日本の2倍以上のGDPを誇っているが、30年前の中国を考えれば中国のGDPは日本の4分の1程度にすぎず、中国経済の影響はモノの数ではなかった。圧倒的に日本が経済支援する関係だった。

今は大きな経済規模を持つ中国も最近は停滞し、人民元の切り下げに見られるように、バブル崩壊の懸念も高まっている。次の10年、20年を展望すれば、日本経済の中国経済への依存度は大きく減少するかも知れない。

そして、企業は当面、それに困っても、時間が経てば困らなくなる。先見力と活力ある従業員をもつ企業ならば、現状の問題点を迅速、的確に把握し、次の成長分野への経営資源の投入を加速し、業績悪化を修正するからだ。

トヨタ自動車を例にとれば、2008年9月のリーマンショックの勃発によって、2009年3月期に戦後初の経常赤字に陥ったが、6年後の2015年3月期には過去最高益を更新している。

リーマンショック後、パナソニック、ソニーのように深刻な経営危機に見舞われた例は多く、シャープは今も立ち直っていないが、パナソニックやソニーは最悪期を脱している。

ソフトバンクやファーストリテイリングのように、リーマン危機を乗り越えて大きく伸びている企業も珍しくない。

自由市場経済が維持されていれば、企業の活力に任せれば良く、ことさら恐れることはないのである。だが、官僚は現在を固定的、静的にとらえ、動的な展開を考える発想に乏しい。そこに限界がある。むろん中には視野が広く、ダイナミックな斬新な発想を持つ官僚がいるが、その多くは出世街道をはずれて行く。

緒方氏は「中国との経済協力なしにはやっていけないことは政府より経済界の方がよく分かっている」と言う。なるほど中国経済への依存度の強い企業中心に中国との関係悪化を嫌う企業は多いだろう。もともと企業はその本性として騒動や摩擦を嫌い、平和な環境の維持を望む。経済規模の大きい中国との関係悪化、冷却化に異議を唱えるのは当然のことだろう。

日本の経済人は「だから中国の主張に譲歩し、友好関係を維持せよ」と主張しがちだし、外交官を中心に面倒を嫌う役所の関係者もその方向で話をまとめようとする。

それこそ中国の思うツボなのである。中国(にかぎらず海外諸国全般)の外交
は商品の相対取引と同じなのだ。最初は値段を高く吊り上げ、居丈高に迫り、相手(日本)が渋ると、徐々に値段を下げて、どこかで折り合いをつける。

ところが、対立を厭う官僚はこういう交渉が苦手で、すぐに譲歩して高値つかみし、日本の国益を損なってしまう。緒方氏がどうなのかは不明だが、「日米関係を強めれば、日中関係も安定するというほど状況は単純ではない」という辺りに、譲歩を重ねる官僚に近いものを感じる。

安倍首相が唱える戦略的互恵関係とは本来、お互いに利点があれば協力関係を築きましょうということで、折り合うまではギリギリのタフな値段交渉を続けるということだ。だが、それを「安易なナショナリズムだ」として批判する勢力が国内に根強く存在する。その勢力を後押ししようと、中国があの手この手の工作をしている気がしてならない。

「中国と冷たい関係を続けろ」と「安易なナショナリズム」を奨励しているのではない。外交とは価格交渉に似た駆け引きなのだ、と言いたい。それをしぶとく続ける姿勢が日本の官僚たちに不足している。

中国との経済関係が悪化したとしても、20年、30年の長期間で見れば、東南アジア、インド、中東、アフリカなど経済関係を深める相手はどこにもいる。有力な企業はそうした姿勢を維持している。政府もそうした長期的な視点で外交を展開すべきである。ほかでもない、中国の外交がそうした長期的展望に立っている。少しは日本の官僚も学んだ方がいい。