「アジア主義」の幻想 『八紘一宇』


今年の3月に参議院の質問で三原じゅん子議員が「八紘一宇こそ日本の取るべき道」といって失笑を買ったが、これは意外に根の深い問題である。

それは一般には「大東亜共栄圏」のプロパガンダとしか思われていないが、もとは日蓮宗系の国家主義団体の田中智学という人物が1913年にとなえたものだ。ここで彼は、西洋の「悪侵略的世界統一」に対して、天皇を中心にした「道義的世界統一」を実現し、八紘(世界の隅々)を一つにまとめるべきだと主張した。

つまり八紘一宇は、白人の植民地支配に対抗する道義として提唱されたのだ。石原莞爾や北一輝も日蓮宗の信者で、田中の影響を受けて「大アジア主義」をとなえた。石原の理念も「五族協和」であり、彼はアジア諸国が平等な立場で集まる「東亜連盟」を構想した。

八紘一宇は1940年に「基本国策要綱」に取り入れられ、日中戦争を正当化するイデオロギーとして使われた。戦争はつねに主観的には、正義の戦いとして行なわれるのだ。日本は負けたから謝罪を強要されているが、ベトナム戦争でもイラク戦争でもアメリカは謝罪していない。

「ヨーロッパ」という地域は中世にキリスト教で成立したが、「アジア」という地域にまとまりはない。東アジアの中でも、儒教や仏教やヒンドゥー教やイスラームなど、文化的にバラバラだ。日本のアジア主義の失敗は、文化の違いを超えた国際的統合が不可能であることを教えている。