2025年問題と支援体制 --- 片桐由喜

はじめに

日本の三世代同居率は年々、低下する一方である。1980年に50.1%であった三世代同居率は、2012年には15.3%までさがった(『平成26年度版高齢社会白書』)。その一方で年齢を問わず単身世帯は増えている。

そして、「独居老人」という単語はあるけれども、「独居若者」なる言葉がないことが示すように、若者の一人暮らしは社会問題として意識されていない。社会問題どころか、若者にとっての一人暮らしは親の監視からの解放、自由の謳歌、自立の訓練と積極的に評価される。

他方、独居老人は孤独死、振り込め詐欺被害などのよくないことの原因の1つとして理解されている。だからといって、離れて暮らす子供たちが親宅に戻る、あるいは子らが親を呼び寄せて一緒に、あるいは近くに住むというケースは少ない。かくして、そこここに、独居老人が暮らす。

1 潜在的介護ニーズ

独居老人が要介護認定を受け、介護保険サービスの利用者となれば、かなりの程度、彼らの生活リスクは軽減される。彼らの生活の中に第三者が介入し、保護と見守りが行われるからである。訪問介護ヘルパーが独居老人宅を訪れて、異変に気付くような場合である。

問題は、何らかの支援が必要であるにもかかわらず、要介護認定申請をしない、申請しても介護保険給付対象とならない、あるいは、そもそも介護保険が使えるということに思い至らないような場合である。

彼らは不便であることを自覚しているかどうかは別にして、一人で暮らしている。大半はトラブルもなく、常識的な日常生活を送っている。

しかし、一人暮らしの中には誰がみても第三者の支援と保護が必要な独居老人も存在する。たとえば、しばしばテレビなどで報道される「ごみ屋敷」に暮らす独居老人などである。これは男子学生の万年床とはわけが違う。男子学生は明日、彼女が部屋に来ると聞いたら、万年床をあげて、部屋を掃除する。「ごみ屋敷」の老主人は誰が来ても、誰が頼んでも片付けない。

もう1つの例をあげると、80歳近い女性が乳がん治療のため、乳房全摘手術を受け、今夏、退院をする。1人暮らしである。足元はおぼつかなく、食欲もない。しかし、認知機能に問題はない。退院後はどうするかと尋ねると、近所の友達が助けてくれると言い、遠方に住む息子はもちろん念頭になく、介護保険をはじめとする公的制度には思い至らない。はたして、近所の友人がオンデマンドで過不足なく彼女の世話をしてくれるだろうか?

2 2025年問題

2025年問題が声高に叫ばれ、医療、介護サービス不足が懸念されている。これはサービスを利用しようにも、施設も人材も足りなく、医療難民、介護難民にどう対応しようかという問題である。

しかし、2025年問題はそれにとどまらず、上記のような潜在的な介護ニーズ、換言すれば、介護保険サービスを利用しないが、暮らしていくうえで、なにかしらの不安をかかえている介護保険利用予備軍の激増におよぶ。そして、この予備軍が上述の孤独死や振り込み詐欺被害者の予備軍でもある。

このような介護保険制度の枠の外にいる独居老人を何らかの社会保障制度、つまり公的財源を用いて保護、支援することは可能であるか、あるいは、そうすることが妥当であるかということが厳しい国家財政を前提に検討されている。

昨今、高齢者や障がい者の支援主体として地域資源の活用が論じられる。民間団体のボランティアや町内会と言った自治組織による自発的、自立的な主体による支援である。これは相互扶助や住民主体の地域ケアとして語られ、ややシニカルに言えば理念的、非現実的構想でもある。
子どもや家族、そして、役所が頼りにならないのなら民間の知恵と力を拝借して、来る超高齢社会を乗り越えようと言う気持ちはよくわかる。しかし、その実現と継続は決して容易ではないはずである。

3 支援と保護のシステム化

上記のような民間団体等の支援は普遍的ではなく、財政、存立基盤がもろい。たとえば、寄付は強制できず、また、それを必要とする個人、団体すべてに配分できるものではない。また、カリスマ的存在の設立者やリーダーが不在になると、組織自体の存続が危うくなるところも少なくない。

しかし、政府や家族以外に高齢者や障がい者に対する支援の第三の担い手として、上述の民間団体や地域自治組織に期待せざるを得ないこともまた事実である。

介護保険適用未満、しかし、生活不安以上の独居老人(高齢夫婦世帯も含む)は介護保険利用者よりもすそ野がずっと広く、ニーズも多様である。そのような彼らに対する支援が民間の優れた効率性、コスト感覚、機動力によって企画、提供されるような社会システムを作ることが急がれる。

国は憲法、家族は民法に基づき助けを必要とする個人や家族の世話をする義務がある。その義務を果たす仕組みの中に上記民間団体等の活動を組み込み、任意、自発的団体による支援であっても普遍性と継続性を保障させることができるシステムを考えたい。これが実現すれば、やる気と能力のある民間団体が国と家族を補う強力な助っ人になることは間違いない。

片桐 由喜
小樽商科大学商学部 教授


編集部より:この記事は「先見創意の会」2015年8月25日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。