資産の配分(アロケーション)を考える前に、配分すべき資産の選択(セレクション)が先行しなければならない。そして、選択には、更に、分類が先行する。当たり前である。
まずは、資産を分類し、分類されたなかから投資対象を選択し、そして最後に、選択されたものの投資配分比率を決める、論理的には、そのような過程を経るべきものである。しかも、論理的に当然だが、分類と選択こそが、配分以上に重要な問題である。分類と選択を見直さずに、配分だけを取り上げて議論することには、大した意味はあるまい。
分類から検討しよう。実のところ、資産は、どうとでも分類できる。どうとでも、というのは、自由すぎて困る。故に、多くの場合、慣習に従うのである。どうやら、日本の年金基金などでは、日本の株式、外国の株式、日本の債券、外国の債券、その他(オルタナティブという便利な表現があるが、要は、上記四つに当てはまらない、雑多のもの全て)というように分けるのが一般的である。
さて、この四資産分類に、どのような科学的な意味があるのか。国内と外国の大分類が先行していて、次いで、それぞれを株式と債券に分けているのか。おそらくは、漠然たる意識のなかで、株式と債券の区分を先行させていて、次いで、それぞれを、国内と外国に分けたのではあるまいか。
分類という作業は、論理的・系統的に、大きな分類から、小さな分類へ降りていくものである。故に、どのように系統立てるのか、上の例でいえば、株式・債券という、資金調達における資本構成上の分類を先行させるのか、国内・外国という地域(そして、同時に通貨)別の分類を先行させるのか、ということが、方法論上の大きな差につながるのである。
株式と債券という分類の軸を優先させることは、今では、実務に定着し始めている。グローバル株式とグローバル債券という分類である。資本市場のグローバルな実質的統合は、もはや、動かすことのできない事実である。そのなかで、国別分類は有効でなくなりつつある。
しかし、株式と債券という分類すら、資金調達手法の高度化により、現在では、曖昧になっている。要は、資産分類など、どうとでもなるのだ。どうとでもなる議論は、尽きることがない。要は、分類を考える軸を、しっかりと定めることから始めねばなるまい。
しかも、分類は、次の選択を前提にしている。ならば、選択の軸が、分類の軸を規定することになろう。イタリアンか中華か、魚か肉か、食べ物は、どうとでも分けられる。要は、何を食べたいかという究極の目的のなかで、常に、分類は相対化されるのだ。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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