国会前デモは、そもそも『デモ』ではなかった?!

こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。
本日の日中にこんなメモ記事をアップしたところ、多くの反響をいただきました。
【メモ】国会前デモで鉄柵崩壊、「憲法を守れ!」の人がルールを守らない不思議


「一部分だけを強調して、すべてが悪いかのように『レッテル貼り』するのはいかがなものか」

というご指摘に関しては、確かに粛々とデモに参加された方が大半でしょうし、車道になだれ込んだのは一部の急進的な人々だったのかもしれません。

真摯な気持ちでデモ行為に参加をされていた方々には、一緒くたにしたことをお詫び申し上げます。申し訳ございません。
しかしその一方で、

「デモは国民に認められた権利なのに、それを抑制した警官・権力者側が悪い!」
「憲法と法律は違うし、目的のために多少の過剰行為が許されるのは当然」
「むしろ鉄柵があった方が危険だったので、安全のためにやった」(おや、それなんて自衛権?)

等など、様々なご意見が大量に飛んできたので、ちょっと色々と調べてみました。

まずあまり指摘されていない点として、いま行われている「デモ」は、実はデモではありません

なんのこっちゃ?と思う方が多いと思いますので、順を追って説明しましょう。

日本国憲法では、言論の自由と合わせて重要と言われる「集会の自由」が規定されておりまして、集団で政治的主張をする集会・集団行進・集団示威運動の権利が認められています。
これがいわゆる「デモ活動」と呼ばれるものです。

そしてこの憲法を担保するために、各自治体は下記の条例を定めていて、申請によっては人々は自由に「デモ活動」をすることができるのですね。

集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(東京都ver)
http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/g1012205001.html

実施の72時間前までに主催者の住所氏名、行動の日時、場所や進路などを申請すれば、「公共の安全に明らかに危険を及ぼす可能性がある場合(条文を意訳)」を除いて、『集会の自由』の権利に基づき必ずデモ活動の許可が降ります。

実際に、3.11の後の多くの脱原発デモなどは、しっかりとこの申請が行われて開催されていたそうですが秘密保護法反対デモあたりから、この申請が徐々に行われなくなっているようです

確かに、主催団体の一つと召されるSEALSさんのHPなどを見ても、「デモ」「集会」という言葉はどこにも使われておりません。
『抗議行動』で用語が統一されています。

SEALDsウェブサイト当該部分
http://www.sealds.com/#upcoming-actions

要はデモでも集会でもなく、勝手に集まった群衆の活動というわけですね。

では、憲法で保証された「集会の自由」が適用されない=デモではない彼らの行動を支える原理は何かと言えば、もっと広義な「表現の自由」です。
(集会・結社の自由も言論の自由も、「表現の自由」のうちの一つ)

自発的に集まった人たちが活動することは、何人たりとも規制することはできません。
しかしながら、もちろんこれには限度があります。
それが基本的人権を制限するかの有名な、

「公共の福祉に反しない限り」

という条件です。
要は他人に迷惑かけたり、他人の人権を侵害しちゃダメ!ってことですね。
今回の騒動も、この「程度問題」を巡るものになります。

いくら表現の自由があっても、何も許可を得ていない人が公道を選挙すれば「道路交通法違反」です。その道路を使いたい他の人にとって、迷惑な行為になりますからね。
なので、警察サイドとしては規制をかけざるえない。

じゃあ道路は使えないのか?といえば、先に述べた「デモ申請」をすれば使うことができます。
ただしその場合、公道上は「行進」しなければならないので、一箇所に留まることはできません
なのでだいたいの「デモ」は、日比谷公園などの大きな公園を集会地にします。

これが今回の係争のキモになります。

デモ側としては、どうしても国会議事堂前をうめつくす「絵」がつくりたい。
そのために憲法・法律で明確に定められた「集会の自由」ではなく、「表現の自由」を担保にして公道を占拠しようとする。

一方の警察サイドとしては、公道を使いたいなら法律に則って申請をしなさい、「国会議事堂前をうめつくしたい」というワガママで、公共の福祉を侵害しちゃいけませんよ!という主張の元でその前に立ちはだかる(もちろん安全の確保もある)。

こうした対立構造の中で、8月30日の鉄柵突破事件が起こったというわけですね。

以上を前提として改めて私見を述べれば、

定められた法律・ルールの元で権利は行使されるべき=公道を使いたいなら、きちんとデモ申請すべし

というものです。
繰り返しになりますが、立憲主義の法治国家である我が国では集会・結社の自由が認められており、デモ活動は合法的に行うことができます。

一方で「表現の自由」の看板の元、公道の占拠=公共の福祉の侵害が認められるかと言えば、こちらには疑問符が付くと言わざるえません。

国会周辺デモ「過剰警備で『表現の自由』を制約している」主催者が警視庁に見直し要望
http://www.bengo4.com/other/1146/1307/n_3559/

こうした要望を出す、というのは良いことだと思うんですよ。
まさに「対話」する姿勢ですよね。でも、それが通らなかったからといって、

「ええい、実力行使で鉄柵突破して、公道を占拠しちゃえ!」

という態度で、そのデモ(的なもの)に広範な支持が得られるかと言えば、それはかなりの疑問が残るところではないかなと感じます。
こうした蛮勇は、身内では高い評価を得るかもしれませんけども…

以前からの繰り返しになりますが、私はデモのすべてを否定するものではなりません(効率は悪いと思うけど)。

しかし、自らの主張を強く打ち出したいあまりに公共の福祉の侵害になりかねない行為を正当化することは、中立派を遠ざけ、反対意見の持ち主の態度を硬化させるだけではないでしょうか。

「集会の自由」を行使するなら、デモ申請で。
「表現の自由」を行使するなら、公共の福祉に反しない限りで。

なお、私の支援者や各種SNSでつながりがある方々には、本件で意見が異なる方々が多数いらっしゃると思います。(政治活動に熱心な方が非常に多いので)

私は一つの政策スタンスの違いで、すべての対話の門戸を閉ざすことは望むものではありません。
今後とも様々な忌憚のない意見をお寄せいただければ幸いです。

それでは、また明日。

おときた駿 プロフィール
東京都議会議員(北区選出)/北区出身 31歳
1983年生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループで7年間のビジネス経験を経て、現在東京都議会議員一期目。ネットを中心に積極的な情報発信を行い、地方議員トップブロガーとして活動中。

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