オーストリア最大の難民収容所トライスキルヒェに入ったアフガニスタンの青年は、「難民が多くて、テント生活を強いられているが、3度の食を与えられ、薬ももらえる。オーストリア政府には感謝している。なんといってもここは安全だからね」(オーストリア国営放送ニュース番組で)と答えていた。
青年は長い道を歩いてオーストリアにたどり着いたのだろう。その間、どのような辛いことがあったか、外からは分からないが、青年の明るい顔と収容所側のオーストリアに感謝する姿勢には救いを感じた。
もちろん、怒りや暴れる難民もいた。ハンガリーの首都ブタペスト東駅前では、「俺たちはチケットを買ったのだ。なぜ列車に乗せてくれない」と叫ぶ難民もいた。一方、ギリシャからマケドニアに入ろうとする難民たちに警察隊がこん棒で押さえつけるシーンも見られた。
場面は、トルコ経由でバルカン・ルートを経て欧州連合(EU)加盟国のハンガリー入りをした難民たちがオーストリアのウィーン行の国際列車に乗れず、ブタペスト東駅前に待機していた時だ。多くの難民は苛立っていた。
その時だ、一人の若い女性が小さなプラカードをもって立った。それには英語で「I apologize」と書かれていた。「ごめんなさい」という意味だが、そのメッセージはブタペスト東駅に集まったシリアやイラクからの難民に向けられていた。
そのプラカードを見て、当方は非常に驚いた。当方の推測だが、彼女のメッセージは、「紛争から逃れ、長い道のりを経てここまで逃げてきたあなた方に何も手助けできないことが申し訳ない」という思いが込められていたのだろう。当方は夜のニュース番組で、「ごめんなさい」と書いたパラカードを掲げる若い女性の姿を見て心を動かされた。助けたいが、助けることが出来ないことは、助けを求める人々の苦しさにも匹敵するほど辛い事だと、彼女の姿から教えられた。
場面が変わる。ハンガリー、オーストリア経由でやっとドイツ・バイエルン州入りした直後だ。多くの難民は難民支援グループの人々から果物や飲物を貰っていた。一人のシリア難民の老人が医者から足の治療を受けていた。足にクリームを塗られていた老人に急に涙がこぼれた。多分、ここに到着するまでの苦難の路程が脳裏に浮かび上ってきたのかもしれない。それとも、紛争中のシリアに残した家族のことを思い出したのかもしれない。ドイツ人の医者は老人の涙に気がつくと、優しくそっと足を擦っていた。
大多数の難民は「ジャーマニ―、ジャーマニ―」と叫ぶ。シリア、イラクの大多数の難民にとって、“乳と密の流れる約束の地”はドイツだからだ。幼い子供を抱え長い山道を越え、空腹にも堪えさせた力は、ドイツに行きたいという希望があるからだろう。歩きすぎて足を痛めた老人もきっとその一人だったのだろう。
欧州諸国が今後、殺到する難民問題にどのように対応できるか不明な点は多い。ユンカーEU委員長は9日、16万人の難民受け入れ計画を表明し、加盟国間での公平な分担を求めた。14日にはEU内相、司法相会合が開かれる。急がなければならない。なぜならば、欧州の冬は早い。朝の気温は既に5度まで下がってきた。冬が到来するまでに、彼らを安全で暖かい場所に収容しなければならないからだ。
オーストリアのファイマン首相がハンガリーのオルバン首相の強硬な移民政策を批判すると、オルバン首相が今度はドイツ政府を批判するといった非難合戦が展開した時だ。ドイツのシュタインマイヤー外相が、「われわれには相手を指差して批判している時間はない」と宥めた。独外相の発言には誰もが反発できない権威が感じられた。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年9月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。