民主党が支える安倍政権

安倍内閣は戦後70年談話で支持率が少し上がったものの、低下傾向にあり、不支持率が支持率を上回っている。

最大の原因は安保法案のいわゆる「強行採決」だ。同法案成立によって「今よりも戦争に近づく危険が大きくなるのではないか」という不安が、安倍政権の支持率を下げている。

戦後、日本は軍事行動をせずに済んできた。米国がそれを認めてきたからだ。憲法9条の武力放棄条項を押し付けたのは米国であり、朝鮮戦争勃発で、自衛隊を創設するよう、圧力をかけてはきた。だが、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と、いずれも自衛隊は最低限の参画でとどまっており、戦闘には一切、かかわっていない。

米国は日本全国に米軍基地を置かせることを条件に、戦闘参加をしない日本を認めてきたのである。その背景には、日本の軍事力復活への米国の警戒心、恐怖がある。

米国は戦前の日本軍の軍事力の強さを知っている。また、国際法を無視し、東京をはじめ無辜の非戦闘員の住む全国の都市に焼夷弾を絨毯爆撃し、あまつさえ原子爆弾を広島、長崎に投下した。日本人はその復讐心を心に抱いていると、ひそかに疑っている。

春秋の筆法を持ってすれば、戦前の日本軍の軍事力と祖父母の世代の爆撃被害という歴史が、現在の日本人を戦争参加から遠ざけ、日本人を守ってくれている、とも言える。

過去の遺産で戦闘行動をサボることができているわけで、現在の日本人は祖父母の世代に感謝しなければならない。

だが、戦後70年たって、この過去の遺産も効力が切れてきた。平和一辺倒に流され、米国に頼りきっている今の日本は、もはや軍事力が強化されてもタカが知れていると、恐れる存在ではない、と米国に見透かされてきた。

他方、米国は内向き志向になり、軍事予算を大幅削減しており、米国の世界戦略における日本の価値も下がっている。日本が戦闘に参加しないなら、日本を守る必要はない。最近は日本に自国を守る意思が希薄なら中国と日本列島を二分するような形で勢力圏を分け合ってもいい、とさえ思っているフシがある。

それではならじと、米国を日本に引き止めるために出てきたのが、日米新ガイドラインだろう。米国の世界戦略のための戦闘参加はしないまでも、日本を守るために米軍が動くときは、自衛隊は米軍と一緒に行動し、時に敵からの攻撃にさらされる米軍を自衛隊が守る。日本だけが米軍に守られていた片務的な同盟ではなく、相互に守りあう双務的な日米同盟にする。それが新ガイドラインであり、そのための集団的自衛権の行使容認だ。

今まではさぼっていた戦闘参加を余儀なくされる不安が増す--。集団的自衛権の行使容認やそれに基づく安保法案について、世論調査で反対意見が多いのは、そこに由来している。

背景にある国民の思惑、心理はこうだろう。日本がやらなくても米国は今まで通り、日本を守るだろう。日本列島は米国の世界戦略にとって必要なのだから。

中国の軍事力増強など日本を取り巻く環境や、米国の考え方が変わりつつあることを知らないのだ。あるいは、厳しい現実を受け入れたくないために、知らないそぶりをしている。砂の中に首を突っ込むダチョウのポーズである。

いや、うすうすわかっている人々は、こう考えている。日本が中国の要求を受け入れれば(つまり中国の支配を受け入れれば)、ひどいことはしないだろう。

米国だって日本が降伏した後、部分的な乱暴はあったが、基本的には日本人の安全と平和を保ち、サンフランシスコ条約後に独立を認めた。その後も米軍の軍事基地はあるが、沖縄などで不満はあっても、日本全体としてはむしろ安全保障が保たれ、プラスの方が多い。

同様に、中国も日本を厳しく扱うことはしないだろう。新疆ウィグル自治区やチベットで人民が抑圧されているが、それは彼の地の経済・技術水準が低いからで、日本のように経済力や技術力のある国をむげに扱うことはしないはずだ。金の卵を生むニワトリは大切にする。経済力のある香港がそうではないか。イギリス統治時代の自由はないが、それなりの自由は保障されている。

中国や北朝鮮、ロシアなど危険な隣国に軍事的に抵抗して多大の死傷者を出すよりは、抵抗せずに向こうの要求を受け入れた方がプラスだ。多少の自由が失われても命の方が大事だ--。

ざっと、こんなところではないか。冷戦期にもソ連の脅威に直面していたドイツなど西欧市民の間では「rot als tot(死ぬくらいなら共産主義の方がましだ)」という議論があった。

子供を抱える母親などは、戦争の危険に敏感である。命あってのものだね。この自然の感情は強く、安保法案への反対が過半を占めるのもうなづける。

しかし、征服者に対して、そんな甘い期待が持てるだろうか。抑圧、不自由、理不尽が日本社会を覆うだろう。さらに権力者に媚びる日本人が増え、彼らは媚びない日本人を告発し、弾圧の手先になる。降伏後に進駐してきたマッカーサーとGHQに対して、日本人の示した卑屈な態度と不服従の日本人を積極的に告発する姿。その無残な有様を克明に記した著書に鈴木敏明著「逆境に生きた日本人」(展転社)がある。

日本民族の資質は極端に権力に弱く、権力者に徹底的に媚びることによって生存を図る。異国の支配者に対して団結して抵抗できず、変わり身早く権力にすり寄る。そうした日本民族が亡びることはないが、その代わり日本の文化伝統はめちゃめちゃになる。それを気にしないのが日本民族なのである。

以前のブログで記したが、本書を読むと、同じ民族の一員としてうんざりする。独裁国家である中国は民主国家の米国以上に酷薄な施政を貫くだろう。それでも「死ぬよりはましだ」と言うのだろうか。鈴木氏の「日本の文化伝統がめちゃめちゃになるのを気にしないのが日本民族である」という指摘を読むと、そうかも知れない、と思えてくる。

だが、めちゃめちゃになっては困ると感じている日本人も多い。過半数の日本人が安保法案に反対しながらも、対抗馬である民主党の支持率が6%前後で、一向に高まらないのはそのためではないか。

自民党に愛想をつかし、一度は民主党を選んだものの、尖閣領域に進出する中国や竹島、北方領土上陸を試みる韓国やロシアの首脳の動きになすすべなく右往左往。対米関係は冷え込み、東日本大震災時の対応も危なっかしかった。これでは国は任せられないと、民主党への期待は今もしぼんだままなのだ。

民主党以外の野党の政治力はそれ以下であり、ほかにいないから自民党、それも外交に強い安部政権に任せるしかない。有権者はそう思っている。再び春秋の筆法をもってすれば、民主党の体たらくが安倍政権を支えているのである。