沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場を名護市辺野古に移設することに反対する市民団体が12日、東京・永田町の国会議事堂周辺で集会を開いたが、集会参加者は「安倍晋三政権打倒」を訴え、一部の参加者が「安倍はサタンだ」と叫んだという(沖縄県の翁長雄志知事は14日、名護市辺野古の埋め立て承認の取り消しを正式表明)。
産経新聞(電子版)でこの記事を読んで、「日本の総理大臣に対しサタン呼ばわりする日本人がいるのか」と驚いた。キリスト教文化からはほど遠い日本ではキリスト教の「神」が定着できずに苦戦していることは知っていたが、神の対抗者の「サタン」が市民権を得ていたとは予想外で、新鮮な驚きを感じたほどだ。
ひょっとしたら、日本人は「神」より、「サタン」のほうに親近感を感じているのだろうか。それとも「安倍はサタン」と呼んだ集会参加者は日本の少数宗派キリスト教徒かもしれないと考えた。日本のキリスト教会では伝統的に左翼思想の強い信者が少なくない。東京都内のキリスト教会は左翼シンパ活動家たちの拠点となっていたことがあったからだ。
ところで、キリスト教社会の欧州では、政敵やライバルに対して「サタン」呼ばわりをしたと聞いたことがない。なぜならば、欧州人はサタンが何を意味するかを知っているからだ。メルケル独首相に対して「サタン」呼ばわりした野党政治家や国民を知らない。最悪でも、女ヒトラーぐらいだ。
キリスト教社会でも口に出すことを憚る「サタン」呼ばわりを、日本人が総理大臣に対して発したのだ。サタン呼ばわりをした日本人はサタンが何を意味するか知っているのだろうか。知っていながら日本の総理大臣に対してこの言葉を使用したとすれば、少々正気を失っていると言わざるを得ない。
それにしても、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対するために、安倍首相をサタン呼ばわりしたとすれば、サタンは気分を悪くするのではないか。サタンはもっと悪辣であり、クレバーだ。単なる小間使いではない。聖書には約300回、サタンという言葉が登場するから、サタンの習性や性格を理解したい人は聖書を一度読まれることを勧める。
話は少々飛ぶ。日本を訪問し、ウィーンに戻ってきた知人が集団的自衛権のための安保関連法案反対(反安保法案)のデモ集会で主催者からパンフレットを貰った、といって見せてくれた。その内容を読むと、安保関連法案を「戦争法案」と勝手に呼び、同法案が採決されれば、日本が戦争に巻き込まれると主張している。パンフレットの文を書いた人は本当にそのように考えているのだろうか。書きながら、舌を出し、笑っているのではないかと疑ったほどだ。
安倍首相を「サタン呼び」し、日本の「安保関連法案」を「戦争法案」と呼ぶ日本の反政府活動家は国民に不必要な不安を駆り立てている。明らかに危険なプロパガンダだ。プロパガンダでは討論にもならない。
いずれにしても、安倍首相をサタン呼ばわりする前に、日本語を学びなおすべきだろう。言葉の荒れは心の世界の乱れを反映しているのではないか、と心配になってしまうのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年9月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。