ハンガリーの国境警備隊が対セルビア国境沿いでフェンスを越えて入ろうとした難民・移民に対し放水する一方、催涙スプレーを使用するなど厳しい対応に出た。このニュースが流れると、欧州諸国や人権グループからハンガリー政府の対応に非難ごうごうとなった。欧州が直面している難民・移民問題ではこれまで静観してきた国連の潘基文事務総長もハンガリー政府の対応を批判。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は17日 、ハンガリーが難民・移民に関する国際法を違反していると異例の批判を発表している。
ハンガリーは過去、多くの国民が隣国に亡命した難民体験をしている。ハンガリー動乱(1956年)だ。民主化運動が旧ソ連軍の弾圧で挫折し、多くの国民が隣国オーストリアに亡命していった。その数は25万人にもなるといわれた。ハンガリーからの政治亡命者を隣国オーストリアは暖かく迎え入れた。その後、歴史的に繋がりが深い両国はより一層、友好関係を築いてきた経緯がある。
しかし、北アフリカ・中東諸国から押し寄せてきた難民・移民問題ではハンガリーの中道右派政権のオルバン首相は難民のドイツ行きを止める一方、突然、難民をオーストリアに送り出すなどジグザグな対応を展開。オーストリアのファイマン首相はハンガリーの難民・移民政策をあからさまに批判し、両国首脳の関係は険悪化した。
ところで、なぜ、難民生活を体験した国のハンガリーが今回、難民・移民に対し強硬姿勢を続けるのか。もちろん、ハンガリ-だけではなく、チェコ、スロバキア、ポーランドといった東欧諸国は一律、難民の受け入れに消極的であり、ブリュッセルが要求する難民の公平な分担案に対して拒否を続けている。財政負担だけが問題ではないはずだ。
考えられる理由は2つある。共産政権時代、旧東欧諸国は日本と同様、外国人といわれる存在は皆無だった。ジプシー(ロマ人)など少数派民族はいるが、迫害され、疎外されてきた。東欧諸国の国民には異民族と共存した経験がほとんどない。だから、民族、宗教、文化が全く異なる中東・北アフリカの難民・移民の受け入れに対し極端に不安を覚えるのだ。
もう一つの理由は歴史的なものだ。難民・移民のほとんどがイスラム教徒だ。ハンガリーは約150年間(1541~1699年)、オスマン帝国の支配下にあった歴史がある。イスラム教徒への潜在的恐れがある。そのイスラム教徒が自国の国境線に迫ってきたのだ。オルバン政権は一種のパニック状況に陥り、有刺鉄線と高さ4mのフェンスを設置していったわけだ。同国の大多数の国民は政府の対応を支持している。
国際社会から糾弾されるオルバン首相はオーストリア日刊紙「プレッセ」らのインタビューに応じ、「欧州のキリスト社会は弱さを抱えているのだ。少子化であり、家庭は崩壊し、離婚が多い。一方、イスラム教徒は家庭を重視し、子供も多い。人口学的にみて、時間の経過と共にイスラム教徒が社会の過半数を占めることは避けられないだろう。その上、欧州に移住したイスラム教徒にキリスト教社会への統合は期待できないことだ。メルケル独首相自身も『多文化社会は失敗した』と告白しているほどだ」と答え、政府の対応を弁明している。換言すれば、ハンガリーの難民・移民対策は自国のアイデンティティ死守しようとするものだ。
ハンガリーだけではない。スロバキアも「わが国は難民を受け入れるが、キリスト系難民だけだ」と言い切ったことがある。異国人、特に、イスラム教徒に対して、東欧諸国は強い抵抗感を払しょくできないでいるのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年9月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。