狡猾な独裁者スターリン

ノモンハン事件
これが、反ソ同盟としての日独伊三国同盟交渉の過程で勃発したのは偶然ではない。スターリンは関東軍の蠢動を抑えるため近代化されたソ連赤軍の威力をみせつける機会をうかがっていた。
最近発見された旧ソ連側の史料によりソ連・外蒙古軍も大損害を被っていたことが明らかになったことをもって日本軍の一方的惨敗ではなかった主張する人もいる。だが戦争は殺した敵兵の数を競うゲームではない。どちらが戦争目的を達したかどうかが問題であってソ連軍の勝利は動かない。

一方西のドイツの脅威に対しては不可侵条約により、東欧の分割を取り決めドイツとの戦争を避けただけでなくドイツを英仏と戦わせたのはスターリン外交の大成功であった。

日ソ中立条約
独ソ戦の直前昭和16年4月、スターリンは外相松岡洋右との間で日ソ中立条約を締結する。この条約の直接の狙いは極東の安全を確保すること。西は独ソ不可侵条約によって東は日ソ中立条約によってソ連は、国力と戦力を充実させる貴重な時間が稼げると考えた。日ソ中立条約の副次的効果は、日本を南侵に向かわせること。日本が南に向かえば英米と戦争に至る可能性が高まる。欧州では英仏とドイツが戦い、アジアでは英米と日本が戦えば唯一の社会主義国ソ連の安全は盤石となる。

独ソ戦
ドイツのソ連攻撃を示唆する情報は多数寄せられていた。その中有力な情報としては英国からのものがあった。猜疑心の強いスターリンは、これを独ソを戦わせようとする謀略であるとして信じなかった。
もう一つの有力な情報は日本にいる自身のスパイ・ゾルゲからのものであった。ゾルゲは東京のドイツ大使館からこの情報を得た。この時点でスターリンはゾルゲの能力をまるで買っていなかったのでやはり信じなかった。
ドイツのソ連攻撃が迫っているとの情報をスターリンが信じなかったことは、スターリンの愚かしさを示すと考えてはならない。
スターリンは、ヒットラーは英仏とソ連の両面作戦を行うほど愚かではないと考えた。スターリンが責められるとすれば、ヒットラーの政治的能力を買いかぶっていたことだ。

昭和16年12月初旬モスクワ戦線では冬将軍の到来と極東軍の来援によりドイツ軍のモスクワ攻略が望み薄になった正にその時、愚かにも大日本帝国はドイツの勝利を当てにして英米に対し宣戦する。

ヤルタ会談
ヤルタ会談でルーズベルトが対日参戦要請した時、満州の関東軍は相次ぐ太平洋戦線への転出で形骸化していたことを知っていたスターリンは、内心ほくそ笑みながら表向きお為ごかしに参戦を承知する。その代償としてスターリンが要求したのが南樺太、千島列島。ルーズベルトはソ連参戦の代償としては安いものだと考えた。
ソ連の対日参戦が、中国共産党の制覇及び朝鮮半島の分断につながるのだからルーズベルトの罪は重い。
ソ連は独ソ戦で1,500万人以上の人的損害を被ったので、満州で勾留する日本人(兵士だけではない)を戦後復興のため労働力として使おうと最初に構想したのは恐らくヤルタ会談であったに違いない。

昭和20年7月日本がソ連に正式に和平仲介を申し入れた時、スターリンは日本の降伏が近いことを確信した。
日本がソ連の和平仲介にこだわったのは、英米に直接当たれば、カイロ宣言にもある通り無条件降伏しかあり得ないのに対し、第三国の仲介があれば名誉ある停戦が可能だと考えたから。

ポツダム会談
ここでトルーマンがスターリンに「(原爆とは言わず)わが国は全く新しいタイプの兵器を開発した」と話した時、スターリンの反応が鈍かったのでトルーマンは、スターリンは原爆を知らないと考えた。だがアメリカにいるスパイから原爆の開発情況をある程度知っていたスターリンは、直ちにアメリカが原爆開発に成功したことを知った。原爆の使用は日本の降伏を早めることは明らかであるから、スターリンは、極東ソ連軍に対日参戦を早めるように指示する。ソ連参戦前に日本が降伏してしまえば、ソ連はヤルタで約束された極東での戦利品にありつけないからだ。

朝鮮戦争
1950年6月金日成が南に統一戦争をしかけたのは、前年アメリカが蒋介石を見捨てて、中国共産党の制覇を黙認したことと同年1月の国務長官アチソンが「朝鮮半島はアメリカの防衛ラインに入らない」と声明したことが大きい。金日成はこれによりアメリカは朝鮮戦争に介入しないと確信し、スターリンの承認も取り付けた。
国連軍を名のる米軍の反撃によって北朝鮮軍が鴨緑江まで追いつめられた時、中国軍が介入する。これは米ソ全面戦争を避けたいスターリンの意向を汲んだ毛沢東の決断であった。
結局金日成による朝鮮半島の統一には失敗したが、米中戦争としての朝鮮戦争が長引いたのはスターリンの成功と言えるだろう。
アメリカは、朝鮮半島に精力を取られ東欧政策がお留守になる。スターリンは毛沢東の民族主義的傾向を警戒していたので、米中戦争の結果、毛沢東がソ連に頼らざるをえなくなったのは歓迎すべき情況だ。朝鮮戦争が継続すること自体、米中和解は遠のくのでソ連の利益と考えたスターリンは、和平交渉を認めなかった。朝鮮戦争の休戦協定が成立するにはスターリンの死を待たなければならなかった。

青木亮

英語中国語翻訳者