挑戦②「法治主義」が山口判事を殺したのでは?

日本の政府や識者が民主国家の証しとして強調する「法治主義」は、形式的に法の形態を具えてさえいれば人道に反する法律でも効果を失わない権力側に都合の良い概念で、非民主的な制度に化け易い危険な考え方である。


この、「悪法も法なり」に象徴される誤った「法治主義」で思い出されるのが、終戦直後の食糧難時代に経済統制違反事件を担当していた山口良忠東京地裁判事の餓死事件である。


山口判事は職責上から違法なヤミ米に手をつけず、病床日記に「食糧統制法は悪法だ。しかし、法律としてある以上自分はソクラテスならねど食糧統制法の下、喜んで餓死する」と書き残し、二人の幼い子供と夫人を置いて極度の栄養失調で33歳と言う若さでこの世を去った。

皮肉な事にそのソクラテスは、「悪法も法なり」と言って死んだのではなく「悪は何時までも悪である」とする自然法概念の起源であったと言う学説まで出ている今日、山口判事を殺したのは「法治主義」と言う概念だとさえ思えて来る。

山口判事が餓死した1947年10月11日は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と言う規定を持つ新憲法の発布された翌年であった事も、現在の日本の混乱した統治形態を予測させる事件であった。

日本中に衝撃をもって迎えられた山口判事の短い生涯は、故山形 道文弁護士の著書「われ判事の職にあり」(本稿の冒頭見出し参照)に詳しいが、山口判事への批判もかなり多く、中でも日本を代表する憲法学者で、山口判事の京都大學時代の恩師であった佐々木惣一教授などは、病床日記を「普通でない」と一蹴するだけで、悪法と現実に悩んだ若い司法官を餓死に追い込んだ日本の司法制度の瑕疵について一言も触れなかったことには驚く他ない。

この事件に対する識者の賛否両論を読んで痛感することは、日本の識者は細かな字句解釈は得意でも全体像を冷静に俯瞰して普遍的な問題を抽出する能力に欠けていることである。それに比べると「食糧管理法自体が不可能を強いるものであって、そもそも違憲である」と主張して訴訟を起こした庶民側の方が、「法の支配の概念」を体得した合理的な意見であったが、この主張が最高裁に受け入れられることはなかった。

「闇市があるのは日本のどこかに食料があり、それを売りさばく連中がいるからである。にも拘らず、警察や検察は闇屋を逮捕しないで闇米に手を出した『庶民』ばかり逮捕している。最高裁判所の三淵忠彦長官が言う『山口判事が執行を迫られた現行の法律は実効性に乏しいとはいえ、闇取引を抑制し、生活必需品の調達を改善するという意味で、究極的には有益な目的のものである。』と言う発言は『嘘』であり、闇市に出回る食料を食料統制法に基づいて正しく配給する事を優先すれば悲劇は縮小できた筈で、老婆を捕らえることは『闇取引を抑制し、生活必需品の調達を改善する』ことには何の役にも立っていない。」と言うある投稿記事の権力批判は、おざなりな最高裁長官のコメントより「白熱教室的議論」としても傾聴に値する。

「法治主義」と 「法の支配」は似て非なる概念であるが、日本では「似ている」=「ほとんど同じ」というとらえ方が多いのが弱点で、国際的デイベートに堪えるには、「似ている」=「同じではない」という視点も重要である。

従い、権力者が「わが国は法治国家だから」と弁解する時こそ、似て非なる言葉の意味を思い出すべきである。

集団的自衛権を含む「安全保障法制」論議が賛否両論ともに低調を極めた事は、「法治主義」を主権在民の立憲民主主義と混同し、本質や全体を忘れて枝葉末節な言葉のあやにとらわれた法律論議に終始した為で、これなどは「法治主義」に惑わされた悲劇である。

そこで、
(1)「法治主義は」は非民主的な概念である。
(2)権威者の言葉を鵜呑みにする事は、国を危うくする。
(3)権力側が「法律」を持ち出した時は民主主義の赤信号。
(4)美談に溺れてはならない
(5)立憲民主主義では健全なる常識は法律や知識より勝る。
と言うデイベートテーマを挙げで挑戦した次第である。

北村 隆司

参考 ;
*本稿は、松本さんのアゴラ記事“高校から「ディベート教育」を”に触発されて書いた「挑戦」であって、この考えが正しいと言う主張ではありません。

*拙稿“「常識」の死 ― ロンドンからの訃報”