人は本当に「象」より進化しているか --- 長谷川 良

今回の主人公は「象」だ。タイで若者が煩い音を出しながらバイクを飛ばしていた。近くにいた象たちはその煩い音に堪らなくなって怒り出した。象の群れが襲ってくると思ったバイクの若者は路上に倒れた。動画を観ていると、怒った象たちがその若者に襲いかかろうとしている。ところがだ。その青年が命乞い(?)のため祈り出したのだ。すると、その若者の祈りを聞いた象たちが暫く考えた後、若者を置いて退去した。若者の祈りは聞き入れられたのだ。

その動画を見ていると、「象は想像以上に進化している」といった新鮮な驚きを受けた。象は仲間が亡くなると、死体の場を離れず、涙を流して別れを惜しむ。動物学者は「一種の葬式」だと評しているほどだ。象は群れで生き、仲間を大切にする情の深い動物とは聞いていたが、命乞いをする若者の祈りを聞き入れ、相手を許すほど高次元の生き物とは考えてもいなかった。繰り返すが、象の世界では祈りは聞かれるのだ。素晴らしい発見ではないか。

ところで、当方はミラーニューロンのことを初めて知った時、人間として誇らしく感じた。ミラーニューロンは1996年、イタリアのパルマ大学の頭脳研究者Giacomo Rizzolatti氏の研究チームが偶然にその存在を発見した。下前頭皮質と下頭頂皮質にその存在が判明している。学者たちの間では、「神経科学分野における過去10年間で最も重要な発見」と評価する声すら聞かれた。

フローニンゲン大学医学部のクリスチャン・カイザース教授(アムステルダム神経学社会実験研究所所長)によると、「人間の頭脳の世界はわれわれが考えているように私的な世界ではなく、他者の言動の世界を映し出す世界だ」という。すなわち、われわれの頭脳は自身の喜怒哀楽だけではなく、他者の喜怒哀楽に反応し、共感するというのだ。悲しい映画を見ていて主人公の悲しみ、痛みに共感し、泣き出す。その共感、同情は、人間生来、備え持っているミラーニューロンの神経機能の働きによるというのだ。「ミラーニューロンが示唆する世界」2013年7月22日参考)。

しかし、その人間が織りなす世界には依然、殺人事件や紛争が絶えない。何時、人はそのミラーニューロンを失ったのか。換言すれば、何時、象はミラーニューロンを発展させたのだろうか。ひょっとしたら、象は人間の進化を飛び越していったのではないか。

非情な人間社会に生きていると、象の情の世界に驚くというより、「人は象ほど進化していないのではないか」といった疑いが湧いてくる。人は天上天下唯我独尊ではなく、象こそ最も進化した生き物ではないか、といった突拍子もない思いが強まってくるのだ。

人の祈り(命乞い)に耳を傾け、相手の痛みに涙する、あの「象」をみろ!


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年10月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。