以前、不動産的発想で街は西に伸びる、という話をしました。では技術革新はどうでしょうか?少なくともイギリスの産業革命からアメリカでの規模の拡大、日本での高い技術の提供、そして、韓国経由で今、中国が再び、規模の拡大に乗じて力を見せようとしています。
自動車の場合、一昔前、イギリスには名車とされるブランドがたくさんありました。ロールスロイス、ベントレー、ジャガー、アストンマーチン、ランドローバー…まだまだあります。それらの中でいくつかは既に何らかの形で本国を去りました。
アメリカは三大メーカーが規模の追求、また、バイアメリカン主義で数を伸ばしました。特に1920年代に単品種大量生産のT型フォード、そしてGMの多色化やGMACといったファイナンス会社のローン付与が爆発的販売量といった流れで「自動車はアメリカ」というイメージを作り上げました。
その後、日本勢が高品質の小型車攻勢で世界の注目を浴びます。今でもハイブリッドや燃料電池車など世界の最先端をいっていますが、価格で勝負した韓国車が80年代初めにカナダ売れ始めてから世界での販売台数を増やしました。今ではまだ誰も信じない中国車の国際戦略も遠くない時期にアフリカなどで市場を席巻するようになるのでしょう。
クルマの場合、部品数が多く、それぞれの領域で高い技術力を提示しなくてならず、日本のポジションがすぐにどうこうすることはないかもしれません。その証拠に日本にはまだ、乗用車メーカーだけでも9社もあります。私が大学の時、既に3社しか生き残れないと言われていたのですから驚きです。どの会社も頑張れた理由はその複雑、高度化する技術において各社、微妙な特色を打ち出し、最先端を常に追い求めた研究開発の賜物でありましょう。
ところが電機となると話は別です。80年代初頭、証券会社はこぞって電機メーカーの株を推奨しました。事実、当時の株式欄を見ると電機メーカーのその上げ方は他の業界と明白に差があり、建設や繊維などは2桁の株価が並ぶ中、電機は多くが4ケタの株価をつけ、目を見張るものがありました。
ところが83年に野村に入った友人から「電機はそろそろピーク」と囁かれます。その意味は国内に同業メーカーが多く、成長の限界と淘汰がちらっと見えたのでしょうか。そういう意味では当時の野村の調査能力は見事だったとしか言いようがありません。
何故電機は先に淘汰の道を歩んだかといえばキーになる技術が比較的限定されており、韓国、中国で模倣しやすいということだったかと思います。考えれみれば秋葉原で自作の電機製品を作るキットがたくさん売られていたわけで、その素養は確かにあったと言えるのでしょう。
IBM。コンピューター業界の巨人と言われたその栄光を覚えている人も多いでしょう。ところが同社はパソコンを中国のレノボに売却し、ソフトやサービス、法人向けビジネスに特化します。が、同社にかつての輝きはありません。売り上げは14四半期連続で減少し、新興国のみならず、アメリカでも低迷しています。
日本は重電と弱電メーカーがなんとなく区切りがついたのがこの20年の流れでしょうか?また、オーディオ関連などで株式市場から退場した企業もあります。家電の御三家、ソニー、パナ、シャープはそれぞれ生きる道を選びましたが、シャープの道はより細く茨が続きます。
日経に中国が液晶部門に於いて2018年に韓国を抜き、世界一になると報じられています。キーは成熟しつつある液晶技術故に今、投資をすれば技術のライフが長い、ということだろうと思います。思い起こせば日本と韓国は次々と新型で大型の次世代パネルの投資を続けました。正に体力勝負で技術競争をしたのですが、その汗だくでへとへとになったのを横目に中国が美味しいところを全部横取りする構図であります。
これはIBMがレノボを売却したのも同じです。2004年の買収の際、レノボの代表の楊元慶氏はろくに英語も出来ず、非常に苦労していました。今では流ちょうになったと聞きますし、それ以上にレノボ社の業績の伸びを見るとIBMはどう思うのでしょうか?
シャープはその液晶部門の売却先について台湾の鴻海とジャパンディスプレイの筆頭株主である産業革新機構からの援助の2方針を持っているとされます。将来、日本の電機、日本の液晶、メードインジャパンのテレビを守るなら産業革新機構とのディールが正しい選択のように思えます。
電機業界はもはや多数の国内メーカーでは戦えなくなりつつあります。特に技術革新のサイクルが早い液晶はもはや国策として生き残りを演出しなくてはいけない時代に入ってきたともいえそうです。そしてそれは電機業界だけではなく、広くモノづくりで励んできた日本の産業界に体質改善を促すことになりそうです。
では、今日はこのあたりで。
岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 10月30日付より