「テロリストとだって話せば分かる、酒を酌み交わせばわかる」的な理想主義について、まあ無理なもんは無理だという現実は認めた上で、理想を諦めないためには何ができるだろうか?ということを考える記事を書きます。
結論から先に言うと、
酒を酌み交わせば理解しあえるぜ!というのは、自分以外の誰の人生についても、たった一時間酒飲みながら話せる程度の事情以外は俺は勘案しないよと言ってるようなもの
なので、
本当に話せば分かるを目指すなら、世界の見方全体を変えようとする必要が出てくるんだ
・・・ということになろうかと思います。
では以下本文です。
私は若いころ、一人暮らしをしているといつの間にか誰か女の子と一緒に住んでいることになる・・・というビョーキだったんですが、大学時代に一緒に住んでいた女性は文化人類学を専攻していて、わざわざ旧ユーゴ(当時NATOが爆撃した直後)の言葉を覚えて、現地に数ヶ月行って、お墓だったかなんだかの習俗を調べて卒論を書いていました。
学部生の卒論としては相当マジな研究だったと思いますが、私も後から付いてって1ヶ月ぐらい分裂直後のユーゴスラビアにいたことがあります。
ユーゴと言えば「ヨーロッパの火薬庫」と言われた世界史上常に紛争の原因になっていた地域で、特に当時、「vs資本主義」で何十年と頑張って1つにまとまっていた民族同士の団結のタガが外れたことで争いが激化して、ある民族が別の民族を虐殺したとか、いやそれはアメリカの陰謀ででっち上げられた嘘だとか、いろいろ言われつつ、NATOが爆撃もして、それで大事な橋が落ちちゃったままの町に、1ヶ月ぐらい滞在したわけです。
私たちが長期滞在したのは「アメリカの敵側」扱いだったセルビア人の地域で、一緒にBSで「US版ゴジラ」を見てたら「ゴジラ頑張れ!アメリカ倒せ!アメリカ死ね!」とか叫んだりするホストファーザーに、「アメリカのプロパガンダに使われた写真の嘘を暴く」みたいな現地のドキュメンタリーをエンエンと同時通訳されながら見せられたり、NATOの爆撃の時に着弾の爆発音ごとに「カンパーイ!(ヤケクソ感)」ってやってるホームビデオを見せられたり・・・と、ウブな20代前後の自分としてはかなりカルチャーショックの大きい体験でした。
現地通貨が公式には非現実的なレートに固定されていたので、ドイツマルクの現金を持って入ると市場で知らない人に10倍ぐらいで替えてもらえたり、そのレートも一ヶ月の滞在中に「これがインフレというヤツだね」という感じで変化していったり・・・と経済学部の学生として非常に興味深い体験もしました。
で、実際に「虐殺」の実態がどうだったのか・・・私にはわかりません。ホストファーザーのオッサンが言ってたようにアメリカのでっち上げなのか、それとも実際にあったことなのか。多分あったんじゃないかと私は感じてはいますが。でも勿論ホストファーザー自身がやったことではないし、彼が住んでいる比較的セルビア人ばかりが多い地区では基本的に平和だったし、混在している地区(結果的に今では別の国になった)で起きた不幸によってなんで俺たちが爆撃されなくちゃいけないんだという気持ちは凄いわかる。
・・・というような話をすると、あまりに立場の違う人だなあという感じだけど、「飲めばわかる感」がたしかにある部分もあるんですよね。前に別のブログ記事でちょっと書いたんですが、そのホストファーザーのオッサンは相撲マニアで、私も全然知らない力士の名前やら決まり手の名前やら知っていて、「君の名前は実はケイゾウのヤマとかケイゾウの海とかじゃないのかい?」とか言われたり、当時優勝したMUSO-YAMAっていうのは、no one is stronger than meって意味だよとか教えたら喜ばれたり(今検索したら無双山じゃなくて武双山だった!・・・嘘教えてるやん俺)、そういう色々とハートウォーミングな話はあったりした。
わざわざ山奥のセルビア正教の廃教会までボロボロのプジョー(ダッシュボードから伸びてる二本の配線を交差させるとバチッとなってエンジンがかかる)で連れてってくれたり、セルビア伝統の野菜と肉を蒸し焼きにした料理を作ってやる!と作ってもらったり・・・いろいろと思い出は尽きません。
で、そうやってると「わかりあえるじゃん!人類皆兄弟じゃん」って思える「瞬間」ぐらいはあるんですけど。
ただ、彼らが背負ってる運命全体の重さを考えると、そう簡単に「わかりあえたなあ」とは思えないなあ・・・と言うのが個人的な実感でした。
自分たちの民族が世界的に「悪者」扱いされて、1つだった国がバラバラに分割されて、自分が使っている通貨がどんどん紙くずになっていき、アメリカがバンバン自分たちの町を爆撃してきて、・・・で、もう着弾ごとに「カンパーイ!」とか言って酒を飲むヤケクソ精神を持つしかなくなってるオッサンに「あんたの言いたいこと、わかるぜぇ」とはちょっと言えないなという感じでした。
で、思ったことは、
酒を酌み交わせば理解しあえるぜ!というのは、自分以外の誰の人生についても、たった一時間酒飲みながら話せる程度の事情以外は俺は勘案しないよと言ってるようなもの
なんですよね。
勿論、1ヶ月とかじゃなくてマジに一生ものでその地域に関わっていく仕事や人生を選ぶなら、また何か違った風景が見えてくるのかもしれませんが、そうすると今度は「相手の事情」に同化するだけで「日本人としての自分の事情」を捨て去ったり攻撃したり「巨悪扱い」しだす人も多くて、それはそれで結局「相互的にわかりあえた」とは言えないんじゃないかという感じを私は持ちます。
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で、だから話し合いなんて無駄なんだよ・・・という話になっちゃうと、ちょっと夢も希望もありゃしませんという感じなので、じゃあどうすればいいのか・・・っていう話で言うと、
「それぞれの民族の一番深刻な話」も「俯瞰」で取り込めるような新しい世界観が必要だな
っていうのが、当時の体験を10数年ジクジクと心の中で持ちながら生きてきた私の現時点での結論という感じがしてます。
どういうことか?それについてはまた次回書きたいと思います。お前はブログなのに本書いてる時みたいに一回にまとめて書きすぎなんだよ!とよく怒られているので・・・
次回予告的な話で言うと、この話を「日韓」の問題にあてはめた以下の絵(今作ってる本の挿絵なんですが)がキーポイントです。
日韓関係においてもそうなんですが、「酒のんでわかりあえるレベル」の話で、あるいは「個人レベルでの交流」でバンバンわかりあえる話だけで行くと、この「最後のところで持っている一番深刻な話」の部分でのネジレがどんどん溜まっていって、どこかで暴発するんですよね。
相撲の話してる分には良かった。サッカーの話してる分には良かった。酒のんで一時間分の話をしてる分には良かった・・・の「先」にある一番深刻な話を避けていると、いずれ長期的に見た時に「その間の交流」が「ほんの一部の人たちだけのもの」になってしまって、むしろ「国民全体」というレベルでの友好感情を逆に悪化させてしまうことだってある。
この時に、「日本側の3割」の「どうしても言いたいこと」を諦めないことが・・・つまり
「相手に寄り添うだけじゃなくて、自分のルーツ的なものにも同じだけ寄り添う姿勢を持たないと、本当に相互的な理解には至らないだろう」
という話もします。
その流れの中で、前回結構反響があった、「だからこそ、アベの独善性よりも、シールズの独善性の方が、やはり問題だと私は思うんだ」・・・という話も出てくるので、未読の方はぜひどうぞ↓
倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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