イスラエルがパレスチナ自治区ガザを前回空爆した2014年、その2ヶ月前に私達親子はイスラエルを旅していた。
空爆が終わると和平交渉が行われ、しばしの休戦が訪れる。そして忘れたころにまた空爆と休戦。これが何年も繰り返された日常だ。
※エルサレム「嘆きの壁」(出典;Wikipedia、アゴラ編集部)
ただ、私たちが旅した時は休戦中だったし、首都エルサレムに限って言えば爆弾テロは想像よりも少なく、最近では4年前と11年前に1度、これは日本で殺人事件に巻き込まれる確率よりはるかに少ない危険度なのである。
さらに言えば、イスラエル国内全土で爆弾テロや空爆で死亡する確率は、日本国内で交通事故で死亡する確率よりはるかに少ない。2014年の空爆は1,460人、2008年の時は1,300人ものパレスチナ人が死亡したが、日本では2008年から2014年までに交通事故で約30,000人、自殺者は約210,000人死亡している。日本に普通に住んでいる方がよっぽど死にやすい(もちろんイスラエルでも交通事故死も自殺者もいる。双方とも日本の3分の1の発生率)。
ところが日本では交通事故のニュースよりも空爆1回のニュースを取り上げる。イスラエルは危険だと。しかしエルサレムの治安は先進国の中でもいい方だと言われている。いろんな状況を調べ安全だと確認した上で、この目で直接イスラエルを見てきた。
ヨルダンのアンマンから車でイスラエル国境、キングフセイン橋まで向かった。国境は厳重でイスラエル入国はもちろんエルサレムに入ること自体、あらゆる方面の警備が厳重にされて治安が保たれている。
国境やエルサレム市内での、私のユダヤ人への印象はあまり良くはなかった。ユダヤ人は律法に従順でお金に関してもシビアだ。なにもかも融通がきかないという印象だ。この頑なさが世界中に散らばって暮らしているユダヤ人が、その国であまり好意を持たれない理由だろう。自国の文化を守って他国で暮らすという意味では華人・華僑よりも頑なだと思う。
これでは2500年、イスラム教徒らとの戦争が絶えないわけだ。ただ、ユダヤ人だけが唯我独尊なのではなく、日本人からみれば全ての宗教がそうも見える。
ユダヤ、キリスト、イスラム、この3つの宗教は元は同じ宗教で、枝別れして3つの宗教になった。唯一神である「神」も、同じ神であり、ただ呼び方がそれぞれ違う。ヤハウェイ、ゴッド、アッラー。これらは「セム系一神教」と呼ばれ、一神教というのは世界の主流のように思われてはいるが、現実の世界では多神教のほうが圧倒的に数は多い。
国境からバスに乗ってエルサレムに向かった。ヨルダンと同じくここも荒野で決して肥沃な大地ではない。死海周辺は塩分を多量に含み農業に適さない。少しずつ緑が増えてきた場所にエルサレムはあった。だからエルサレムの緑の恵は、この地に住む人々を魅了したのだろう。
エルサレムと周りの荒野を見て、この地に一神教が産まれた理由もわかる気がする。地図を俯瞰して眺めても、ここはアジアとヨーロッパとアフリカのまさに交差点。何千年も前から周りには大国がひしめきあい、戦争に巻き込まれてきた。だから一神教という、他の宗教に比して異常なまでに求心力を求める宗教が、この地に住む人々には必要だったに違いない。メシアを望んだに違いない。選民思想というのも、はっきり言えば、自分達をそう思わなければやっていけないほどの、劣悪な状況だったということだ。
ユダヤ人は金に汚いと言われるのも、常に離散しつづけた民族が、逃げる際に食料や家財道具などの財産を持っていけるわけもなく、貴金属から紙幣そして金融資産へと、非物質性へと求め続けたのももっともだ。
エルサレムではオリーブ山にあるイブラヒム・ピース・ハウスという家に泊まった。ここはパレスチナ人でイブラヒムという名の老人が切り盛りしていて、自宅を旅人に開放していた。彼はパレスチナ人としてかなり有名らしく、日本の首相やアメリカ大統領など世界各国の要人と一緒に写っている写真が家に貼られている。彼は穏健派でパレスチナを思う心と平和を求め、それに惹かれた旅人たちが国籍問わず世界中からこの家に集まってきていた。
20代の日本人も多く、みな個性的で社交的で有能、ここだけでなく、私が海外で出会った若者のほとんどがみなあまりに有能なので、凄い世代だと感心するばかりなのだが、日本にいる私の社会人の友人達には、「ゆとり世代でしょ?全然駄目だよ」という答えばかりが返ってきて、私とは全く逆の意見になってしまう。海外だけでなく、私が音楽活動をしてるときも年下の音楽家たちは有能ばかりで、私の人生の線上に現れてくる若者達は常に素晴らしく、私はつまらない若者とはうまく出会わない様に生きてるかのようで、そういった私の生き方は私にとっても有意義だ。
エルサレム旧市街に散策に行った。ここは3つの宗教にとっての聖地である。私は葬式のみの形式仏教徒でほぼ無宗教者だが、そんな人間が世界でも類を見ない聖地の中の聖地に来てるわけだ。妻と3歳になったばかりの息子を連れて。
息子はこの行為をすぐに忘れてしまうだろうが、息子はまだ言語よりも現象で物事を捉えるので、この来訪は何かしらの影響を与えるだろう。聖地の意味はわからなくとも、そこに意味を求めて集まる世界中の信仰者を目にしてるのだから。聖地嫌いの私も、人間とは何か、を考える意味で聖地に来る意味はあるのだ。
イスラエルからヨルダンに戻る際、国境でヨルダン人が射殺された。国境警備は物々しく銃声が聞こえる。戻ったアンマン市内では、反イスラエルのデモが起きていた。私はアンマンの宿でヨルダン人に聞いた。
「私達がイスラエルに行ったことは、不愉快に思うか?」
彼はこう答えた。
「イスラエルの地はパレスチナの地だから、君らはパレスチナに行ったのだ。不愉快だとは全く思ってないよ。」
イスラエルという国名は、ユダヤ人にとって「約束の地」という意味である。2000年の流浪の果てに辿り着いた約束の地。しかし中近東に住むイスラム教徒にとって、イスラエルの地はユダヤ人のものではなく、パレスチナという名の地であって、イスラム教徒の地なのだ。
パックス・アメリカーナ(アメリカ覇権主義)は弱まり、かつてのモンロー主義のようにアメリカは他国へ干渉しない国へと変わりつつあるように見える。この流れが今後どうなっていくのかは、イスラエルという国家にとって最重要の問題だろう。
ヨルダンのアンマンに戻り、正直、私はホっとした。エルサレムでの緊張感もあるが、やはりイスラム教の国にいることの安心感が強い。私の旅したイスラム教の国々は概して治安が良く、ムスリムはあまりにも親切なのだから。
鈴木 健介
無職37歳。
バックパッカー。訪問42ヶ国。
元音楽家。シングル「善悪無記の形相」、アルバム「ドクサ」発売中。
早大卒。