安保法制をめぐる無内容な論争を聞いていると、本当の「有事」が起こったら、また震災のときのような混乱が起こって大きな犠牲が出ると思う。「安保ハンターイ」を50年も繰り返している左翼は論外としても、安倍政権もアメリカの防衛力に期待しすぎているからだ。
本書は公開された米秘密外交文書をもとに、日米同盟が最初から日本の防衛を目的としていなかったことを明らかにする。そもそも1952年の日米安保条約から一貫して、米国が日本を防衛する義務はない。改正された安保条約の第5条でも「自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危機に対処するように行動することを宣言する」としか書いていない。
1971年の国務省文書には「在日・在沖縄米軍基地は米軍の兵站のためにあり、戦略的な広い意味においてのみ日本防衛に努める」と書かれ、「核の傘は、いずれにしても米国が自国の防衛のために維持するので、それによって日本の防衛に対する直接的なコストはかかっていない」と書いている。
沖縄はサンフランシスコ条約で米国の施政権のもとに置かれたので、沖縄の基地はもともと米国防衛の前進基地だ。それを返還したのは日本政府との関係に配慮したためで、基地を米国が支配している状態は変わらない。今は沖縄には核兵器はないが、それはICBMやSLBMで代替されただけだ。
要するに米国にとって、日米同盟は自国の国益のためにあるのだ。中国の脅威には重大な関心を払っており、沖縄が攻撃されたら守るが、それは米国防衛の一環として守るのであり、尖閣のような「岩礁」を守る気はない。1997年の防衛ガイドラインには、日本の防衛には自衛隊が主たる責任をもつと明記されており、米軍の責任はその支援だけだ。
だから野党やマスコミが騒いでいる「巻き込まれ」リスクは逆で、むしろ米国が日本のための戦争に「巻き込まれる」ことを恐れているのだ。この背景には、日本がいつも「憲法の制約」という言い訳で同盟国の義務を果たしてこなかったという不信感がある。
集団的自衛権はあったほうがいいが、こういう日米関係は、憲法が変わらない限り基本的には変わらない。今後、中国が南シナ海や朝鮮半島でプレゼンスを増してくることは確実だが、日本は米国に頼らないで自前の防衛力を整備する必要がある。