電波利権の前に沈黙する大手新聞社の無責任

井本 省吾

池田信夫氏はこのところスマートフォン向け放送サービス「NOTTV(ノッティーヴィー)」の経営破綻について、勢力的に批判記事を書いている。

破綻した「NOTTV」の見せた電波行政の深い闇/「電波社会主義」が国民の電波を浪費する>(2015.12.3付けJBプレス)、「NOTTV破綻で始まる電波社会主義の崩壊」(アゴラ)……。

読んでいて納得の行く記述ばかりで、電波社会主義の根深さに憂慮することしきりである。が、今さらながらとは言うものの、さらに「由々しきことだ」と思うのは、新聞社やテレビ局などの大手メディアがNOTTVの経営破綻の問題をほとんど(事実上まったく)取り上げていないことだ。

どの新聞を読んでもNOTTVが赤字を続けて破綻した、という事実を短く伝えるだけで、その経緯、背景、問題点を分析していない。
NOTTVはNTTドコモが2012年4月にサービス開始した「マルチメディア放送」だ。わずか3年で破綻したのはなぜか?
累損1000億円、500億円の債務超過。ドコモの毎年8000億円以上ある営業利益で吸収できるとはいえ巨額である。利用者は経営主体であるNTTドコモの携帯電話の全利用者に比べれば少ないが、150万人にも達する。不適切会計に揺れる東芝や、杭工事データの偽装問題を引き起こした旭化成建材ほどではないにせよ、その社会的影響はマスコミが無視していいほど小さくない。

なぜ短期間のうちにこれほど巨額の赤字を出したのか。詳細な分析や、経営主体であるNTTドコモや監督官庁である総務省への追及記事があってしかるべきだろう。東芝や旭化成建材をあれほど詳細に報道するのなら。

では、なぜ報道しないのか。言わずと知れたこと。現在の電波行政のもとで、大手新聞社やそれに連なる民放テレビ局は巨大な既得権を得ているからだ。
ドコモによるNOTTVの経営とそれを認可した総務省の行政を批判することは、既得権を得ている自らの経営基盤を掘り崩す危険につながらからである。

池田氏の記事を読めばわかるように、大手メディアの既得権=電波利権は総務省の裁量行政のもとで分配されている。NOTTVの経営破綻にメスを入れれば、この電波社会主義に突き当たる。

多くの経済学者が指摘するように、電波行政は、総務省の裁量行政を排して周波数オークションで電波を開放することが正しい道だ。オークションで電波使用権を購入した参入業者がサービス開発とマーケティングを競いながら事業を創造すれば、多チャンネルの新しい市場が開けて経済は成長する。

政府もオークションで得た資金を国庫収入とすることで財政再建の一助となるだけでなく、電波オークションによる新市場の創造が雇用と税収をふやす道をつける。

良いことづくめなのに、これが実現しないのは総務省が必死で抵抗するからだ。自ら電波を裁量的に分配した方が権力を維持でき、権力や天下りの道を確保できる。

自民党など与党政権がこの役所と結託し、業者と癒着して政官業(財)の「鉄の三角形」を形成する。総務省(旧郵政省)に限らない、農水省、財務省、国土交通省、厚生労働省、文科省とどこも大同小異の癒着構造だ。

岩盤規制が崩れない元凶である。とは、多くの新聞、テレビ局が指摘するところである。だが、新聞の再販制度や電波の分配など、事が自らの利権にからむと、ピタッと批判をやめ、都合の悪い記事も載せない。変なこと(総務省の「不都合な真実」)を明らかにしてにらまれ、自分の電波利権を縮小されては困るのだろう。

一方で、政治部のベテラン記者中心に総務省(旧郵政省)や放送利権にからむ与党政治家のもとに足を運んで、自社に放送電波が得られるように動く「波取り記者」が活躍している。

中国など統制国家を笑えぬ旧態依然とした利権構造に新聞社やテレビ局は過去数十年、どっぷりと浸かってきた。

新聞社内でも、その構造を苦々しく思っている記者は少なくない。だが、雑談の場で批判しても、表立って問題にすれば、自分の立場が危うくなる。そう知っている(感じている)から、沈黙してしてしまう。かくいう私もそうだった。

日本経済新聞社を退社した今だからこそ書いているのであって、「現役時代はどうだったんだ」と問い詰められれば、何も言えない。そこから、今もこんな声も聞こえてきそうだ。

「大なり小なり古い企業は既得権を持ち、それによって何とか利益を出し、系列テレビ局などへの出向、転籍などによって中高年層の雇用も支えている。従業員全体のため、幹部や管理職は皆、苦労しているのだ。その構造を簡単に変えられると思うのか。退社してから、青臭い書正論を語るなど、いい気なもんだ」。

この反論は重い。私も現役の役員や管理職を勤めたならば同じことを言うかも知れない。彼らにとって、明日はともかく、今を無事に乗り越えることが大事なのだ。

それを承知であえて書く。やはり既得権維持の岩盤規制を撤廃しなければ国家経済は衰退して行く。規制を排した市場原理とイノベーションの追求という経済の王道を進まなければ、経済は成長しない。大手メディアはそれを説く責任がある。

このブログのタイトルを付けるに当り「電波利権の前に沈黙する大手新聞のジコチュー」「堕落」「無節操」「退廃」とかいろいろ考えた。その末に「無責任」と決めたのは、電波利権のような既得権を打破するのは、新聞マスコミの責任ではないかと原点に戻って考えたからである。

社会を少しでも改善、改革するとすれば、「先ず隗より始めよ」ではないか。とりわけ、私は日経OBとして日経が率先して、それを進めてもらいたい。

日経はかねてより自由市場原理の徹底、規制緩和、行政改革を主張してきたからである。私もそれを正しいと思い、その路線を進む日経に共感と愛着を感じてきた。

日経こそがメディアの先頭に立って、旧態依然とした電波利権の構造を打破を説き、古い体質から脱却すべきだろう。それは当面の日経の収益・雇用基盤を崩すことになるかもしれない。だが、(あえて言うなら)日経ならば、電波オークションによって事業機会を確保し、新ビジネスを展開、新たな成長を実現できると思っている。

日経が先般経営統合した英フィナンシャル・タイムス(FT)との統合効果(シナジー)を生むのは簡単ではない。それに比べれば、電波を確保し、放送と通信が融合する領域に踏み込んで行く方が可能性に富んでいるとすら思える。

放送・通信分野での規制の緩い米国ではグーグル、アマゾン、フェイスブックといったビッグビジネスを次々に生み出し、日本は大きく水を開けられている。旧態依然たる規制放送行政からは、経済成長の芽は育たない。そのことを日経は訴え、身を持って新ビジネスの創造に尽くすべきだろう。