6年前に現役を引退された元プロテニスプレーヤー・杉山愛さんの母親で、コーチとして愛さんを実際に指導された杉山芙沙子さん曰く、『「あいつには負けたくない」と言っているうちはまだまだで、本当の「負けず嫌い」の人間というのは、相手との比較がないのでどこまでも伸びる可能性がある』ということです。
誰しも負けたくはないでしょうし、誰しもが皆勝ちたいと思い事を上手く運ばせたいと思うのは、人それぞれ当然だと思います。負けず嫌いという場合、誰に負けたくないかというと一つは「敵国」であり、もう一つは「仮想敵国」であり、最終的には「自分自身」だと考えます。
第一に敵国に勝つは、「彼を知り己を知れば百戦危うからず」という『孫子』の世界を考えると、比較的攻略し易いかもしれません。次に仮想敵国となると、一つ難しさが加わると思います。それ即ち、現下の敵国に対する予見と仮想の敵国に対する予見とは、その確度に違いがあるということです。
今の敵国のケースが現状分析である一方で、仮想敵国のケースでは先ず対象自体を自分自身で作り上げます。従って「何故それを敵と想定するか」「真の敵が別に居はしないか」「その仮想自体が間違ってはないか」といった議論も有り得るので、更に難しくなるのです。
私は今から40年前の野村證券入社時より、「野村證券を如何にして世界に冠たるインベストメントバンクにして行くか」と考え続けてきました。当時ライバルであったゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーを仮想敵国と見做し、「モルガンのどの部分が野村よりも上回っているか」「野村がモルガンに勝ち得るのは何においてか」等々と自分なりに分析を加え、その上で戦略・戦術を考えていたということです。
そして最後に自分自身となりますと、ある意味一番難しいのかもしれません。『論語』の「顔淵第十二の一」に、「己(おのれ)に克ちて礼に復(かえ)るを仁と為す」という有名な孔子の言があります。之は「克己復礼(こっきふくれい)」の元になった言葉で、孔子は「自我を没して私欲に打ち克ち、節度を守って言動の全てを礼に合致させることが仁の道だ」と教えています。
己に克つは何故それ程までに難しいかと言ってみれば、人間その殆どが己に甘く他人に厳しいからではないでしょうか。悲しいかな之は、人間の習性とも思える一つの性なのです。だから東洋では古来より、克己を重視するのです。克己の精神なかりせば、人間強くはなれません。言うまでもなく之は仕事においても、そのまま通じる話です。
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