教会色を失ってきた「クリスマス」 --- 長谷川 良

25日はクリスマスだ。24日夜から25日にかけて飾ったクリスマス・ツリーの下に置いたプレゼントを交換する家庭が多い。最近では 故郷(実家)に戻れない若者は、プレゼントを開けて喜ぶシーンをスマートフォーンやSkypeで送信し、祝うケースも多いという。

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▲キリストの降臨を描いた17世紀オランダの画家ヘラルト・ファン・ホントホルストの作品「Adoration of the Shepherds」

欧州最大のクリスマス市場のウィーン市庁舎前市場でも24日に入ると、31日の大晦日(シルベスター)用のブタの商品を並べ出す。去りゆくクリスマスに名残を惜しむといった風情は少ない。ビジネス・アズ・ユージュアルだ。

オーストリア日刊紙プレッセによると、今年のクリスマス市場に出店した店の売り上げは昨年より20%前後少なかったという。その理由は「パリ同時テロ」事件の影響もあるが、テロの恐怖は主因ではなく、やはり雪が降らないことが大きいという。

クリスマス・シーズンに入ったが雪が降らないどころか、花が新芽を出すのではないかと錯覚するほどだ。暖かい12月の気温がクリスマス市場の不振の最大理由というのだ。クリスマス市場で欠かせない飲物プンシュ(ワインやラム酒に砂糖やシナモンを混ぜて暖かくした飲み物)を飲みたくなるのはやはり寒い冬に限る。

市庁舎前市場の売り上げ減少のもう一つの理由はクリスマス市場の多さだ。ウィーン市内でも24カ所にクリスマス市場が開かれているから、どうしても訪問客が分散してしまう。ひと昔のように、クリスマス市場と言えば市庁舎前広場の市場というふうにはいかなくなった。市庁舎前の市場は規模的には最大だが、シェーンブルン宮殿の市場、マリア・テレジア広場の市場も規模こそ少し劣るが、雰囲気では市庁舎前のそれを凌いでいるという声も結構聞かれ出した。

ところで、クリスマスといえば、復活祭と共にキリスト教の2大祝日だ。クリスマスはイエスの誕生日を祝う日だ。誰でも知っているからかどうかは分からないが、クリスマスではキリスト教会の影が小さいのだ。本来ならば、教会関係者が、「私たちのシーズンがやってきた」と張り切ってもいいのだが、クリスマス期間(アドベント)、キリスト教会関係者は驚くほど静かなのだ。

プレッセのコラムニストが、「教会関係者はクリスマスの意義などをなぜもっと自信を持って国民に語り掛けないのだろうか」と述べていた。最近では、「クリスマス市場」(Weihnachtsmarkt)という表現をやめ、「冬の市場」(Wintermarkt)と呼ぼうといった声まで聞かれ出した。クリスマス・シーズンの非キリスト教化だ。西欧社会の世俗化の波はキリスト教の最大祝日クリスマスにまで押し寄せてきているのだ。

12月8日は「聖母マリアの無原罪の御宿り」の日で、8月15日の「聖母マリアの被昇天」とともに、聖母マリアの神性を祝う祝日だ。カトリック教国のオーストリアでもその日は学校や会社は休みだが、商店街は店を開く。クリスマス・シーズンに1日でも店を閉じれば、それだけ売り上げが少なくなるというわけだ。昔は労組から圧力があったが、ここ数年は労組の反対の声もなくなった。皮肉にも、12月8日はここ数年、クリスマス・シーズンで商店街の売り上げが最大の日として定着してきたのだ。

肝心のカトリック教会関係者からは、「8日は『聖母マリアの無原罪の御宿り』だから、祝日だ」と国民を諭す声は聞かれなくなった。諦め出しているのだ。大多数の国民は8日、クリスマス用のショッピングに出かける。教会の声は“荒野で叫ぶ声”に過ぎなくなってきたのだ。

このようにキリスト教最大の祝日クリスマスは年々、非キリスト教化され、クリスマス市場は「冬の市場」の様相を深めてきた。来年のクリスマス市場はどうなっているだろうか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年12月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。