■抗議会見が逆効果に
『そうだ、難民しよう! はすみとしこの世界』(青林堂)の発売に抗議する会見が、12月21日、参議院議員会館で行なわれた。いわゆる「嫌韓本」に出版業界から声をあげたことで知られる団体「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」と、辛淑玉氏が共同代表を務める市民団体「のりこえねっと」の共同会見だった。
会見で本書は「ほとんどすべてがヘイトスピーチ」(出版関係者)、「ナチスの手口の再生産」「まだ日本人は、この社会は朝鮮人を殺し足りないのかな、まだ満足していないんだな」「絶版にすべき」(辛氏)などと非難されたが、これを受けてかアマゾンではむしろ当該本の売り上げランキングが上昇。部門一位、総合ランキングでも十位以内に入り、増刷まで決まったという。
以前にもこのようなことはあった。在特会会長・櫻井誠氏の著書『大嫌韓時代』をツイッター上でPRした書店に、彼らの言動に対抗して来た「しばき隊」が抗議。すると『大嫌韓時代』のアマゾンでの売り上げが急増してしまうという現象が起きた。今回も、抗議の会見はむしろPRや、賛成派への燃料投下になってしまったようだ。
■はすみ氏を支持する人の内心
在特会の時もそうだったのだが、はすみ氏を積極的に支持する人たちに(ネットではなく現実社会で)会ったが、単なる「表現の自由」云々の問題ではなく、その主張の中身、表現方法についても肯定的で支持しているようだった。いったい彼らはなぜ、在特会やはすみ氏を支持するのか。
このことを考えるうえで、思い当たるのはドナルド・トランプ氏だ。「政治的に正しい(ポリティカル・コレクトネス)」ラインをこれでもかと破って見せるトランプ氏は、海外から見ていると「まさか大統領にはなるまいな」「アメリカ人だってそこまで軽率じゃないだろう」と思うほどの暴言だ。だが、その中には「ポリティカル・コレクトネスが重んじられ過ぎるあまり、多くの人が口にできなかった本音」も垣間見える。いわばぶっちゃけ系だ。
移民に対してもトランプ氏は取り締まり強化を口にしている。それを「排斥」と表現するメディアもある。確かに様々な事情を抱えて祖国を飛び出し、新天地を目指す移民や難民が世界中にいる。特に紛争や圧政による場合は本当に気の毒に思う。だが不法移民の取り締まりそれ自体が頭から非難されるべきものなのか、それを「排斥」と言ってしまっていいのかは別の問題だ。
日本で言えば、「日本は難民の受け入れが少なすぎる!」という非難も分からないではない。だが『週刊新潮』が報じたように、蓋を開けてみれば、とても「難民」とは言えない人たちが大量に申請をしていたという事実もある。はすみ氏の描く「そうだ難民しよう!」のイラストに添えられた文言に適合する人は難民すべてではないが、ごくごく一部ではあっても、非実在ではない。
報道においては「被害者」のポジションに立つ人に対しては批判せず「聖域化」する傾向がある。難民はまさにそのポジションにあり、しかも大部分は実際に被害者でもあるため、はすみ氏はトランプ氏と並んで海外サイトstepFEEDの「シリア難民問題へ最悪のリアクションを起こした七人」に選出されてしまった。
だが「人道的」の建前を追及し過ぎることで、一部の真実を封殺するのは間違いだ。むしろ、このような一部の真実を「大文字の正義(ポリティカル・コレクトネス)を語る大マスコミ」が触れずにいるからこそ、はすみ氏の表現が受ける土壌が出来上がる。
これはドナルド・トランプ氏が米国の半数からは「恥である」と見なされながらも、大統領選で躍進できるだけの支持を得ているのと同じ構図だ。「大文字の正義では語られない、一面の真実を指摘している」ことが、一部では勇気があるなどと見なされ、在特会やはすみ氏、そしてドナルド・トランプ氏などの支持につながっている。
■「フレームアップ」はよくない
そもそもはすみ氏と在特会を一緒にしていいのかという話もあるし、在特会の一部で見られた「死ね、殺す、ゴキブリ」などの暴言は論外だ。また、はすみ氏(や在特会)が多くの人が眉をひそめかねないような表現をしてしまうと、「在日の問題や難民・移民問題をタブーにせず、しっかりと俎上に載せてフェアに解決して行こう」と考える人たちが、むしろ声を上げづらくなることもある。となれば、彼らが企図しているであろう問題の解決からは遠のいてしまう。手段と目的を間違えてはならない。「問題があるなら、きちんとした形で、まな板に乗せられるように」しなければならない。
はすみ氏の作品で言えば、やむにやまれず難民の道を選んだ人もいれば、当然のことながら在日の全てが「得だから」という理由で日本国籍を取得しているわけではない(ただし、絵ですべてを説明するのは無理だろうとは思う。はすみ氏の本ではイラストの背景説明が行われており、その文章の中では「~という人もいる」などの留保をつけている部分もある)。
これは双方に言えることだ。辛氏が「まだ日本人は朝鮮人を殺し足りないのか」(この場合の「殺す」は社会的な意味なのかどうか、会見だけでは不明)と言ってしまうと、辛氏の隣に座っている人すらも「日本人」の範疇に入ってしまう。
一部をフレームアップして言い募るのは、まさに朝日新聞の慰安婦や原発記事の手法だ。はすみ氏支持の人たちはほとんどが反朝日新聞的スタンスだと思う。批判している朝日新聞的な「角度をつける意見表明」の手法が、スタンスが逆(反マスコミ)だからといって許されるわけではない。個人と大組織で規模は全く違うとはいえ、それをやってしまうと「朝日面【ダークサイド】に堕ちてしまう」。右であれ左であれ、ごく一部の事例を全体のように印象付けてはならないし、その情報に接する方も、そう捉えてしまわないよう注意が必要だ。
大文字の正義に対抗するには、同様に角度をつけた方法ではなく、より実態に近い丁寧な問題提起や議論が必要だ。
梶井彩子
ライターとして雑誌などに寄稿。
@ayako_kajii