正装して手紙を書いた時代の作家 --- 長谷川 良

フランツ・カフカ(1883~1924年)は恋人に900通の手紙を書いた話は有名だが、カフカを凌ぐ手紙を書いた作家がいる。スウェ―デンのヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(1849~1912年)だ。彼は生涯、8000通の手紙を知人、友人、恋人などに書きまくっている。彼は生きていくために多くの小説、戯曲だけではなく、絵も描き、絵を売って生きた時期もあった。生活苦のためその才能を安売りしなければならない自分の運命を激しく恨んでいたという話も聞く。
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▲スウェ―デンの国民作家ストリンドベリ(ウィキぺディアから)

なぜ、突然、ストリンドベリかというと、彼は手紙を書く時、正装し、椅子に座って書くのが慣例となっていたということを最近聞いたからだ。ストリンベリは手紙を送る相手が目の前にいるかのように、正座して手紙を書いたというのだ。

現代作家の中で正装し手紙を書く作家がいるだろうか。多くはPCでE-Mailで済まし、手書きで手紙を書く作家も少ないのではないか。ストリンドベリが正装して手紙を書く姿を想像し、物書きの見本だと感動を覚えたからだ。

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▲ストリンドベリが手紙を書いた書斎の机(ストックホルムのストリンドベリ博物館の絵葉書から)

スウェーデンの国民作家と呼ばれたストリンドベリは生前、ノーベル賞に強い関心があったが、スウェーデン・アカデミー委員会の関係者をこっぴどく批判したことがマイナスとなって受賞を逃した作家だ。カトリック教会の教えに対し批判的な言動がネックとなってノーベル賞を逃した英国作家グレアム・グリーン(1904~91年)と似ているわけだ。ノーベル賞を受賞するためには実績だけでは十分ではなく、外交力と運を味方にしなければならないが、ストリンドベリの場合、外交力が決定的に欠けていたわけだ。 

ストリンドべリに関しては面白いエピソードが多い。科学的な発見に関心を持ち、カメラができると早速カメラを買い、取材に利用している。ある時、雑誌社の要請でルポを頼まれ、現地に取材に行き、多くの写真を撮影したが、後で写真が撮れていなかったことが分かってショックを受けたという話がある。現代のようなデジタル・カメラでなかったので、写真の確認ができなかったわけだ。また、コップを持って墓地を訪問し、墓場にいる霊魂を捕まえようと徘徊したという話もある。ちなみに、ストリンドベリは、「子供の時から神を探してきたが、出会ったのは悪魔だった」と皮肉に書いている。

ところで、カフカは北欧の作家ストリンドベリに影響を受けている。カフカ自身、手紙の中でそのことを吐露している。生い立ち、生活環境には相違はあったが、両作家の共通点は異常なほど熱心に手紙を書いたことだろう。

少し、付け加えるが、カフカはラブレターを書いたが、ストリンドベリはお金を請う手紙や出版社宛ての現実的な内容の手紙も多かったというから、正装し、深刻な思いで手紙を書かざるを得なかった台所事情もあったのかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年1月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。