ALSになっても私は私 --- 恩田 聖敬


私は昨年末まで縁あって、私の生まれ故郷である岐阜のプロサッカーチームFC岐阜を運営する株式会社岐阜フットボールクラブの代表取締役社長を務めさせて頂きました。

就任当時、私は35歳。こんな若造に大きなチャンスが訪れました。しかしながら、チャンスと同時に私の身体を筋萎縮性側索硬化症(通称:als)という難病が蝕んでいきました。

私はFC岐阜のオーナーである藤澤氏が代表を務める会社に所属して、東京で働いていましたが、岐阜に来る際に出向では無く前職を退職し、退路を断ちました。

そのせいか、片道切符社長と呼ばれることがありましたが、alsになり、今の不自由な身体とも片道切符で付き合うことになりました。宝くじに2回当たった心境です。

社長在任中はとても充実していました。多くの出会いがあり、たくさんの笑顔にふれ、励まされ、私にとって天職と呼べる仕事でした。しかし、いかに気持ちが充実していても、身体の自由は奪われていきました。

私は病気の進行により、FC岐阜の社長という職責を果たすことが出来なくなり社長を辞任しました。しかしながら、生きることは辞めませんし、自分らしく生きることも諦めません。多くの方から「ゆっくり休んで」「無理しないで」と温かいお言葉を頂きます。勿論有り難いですが、私は全然無理してないのです。仕事を生きがいにしてきた私にとって、自宅で療養に専念は違う気がするのです。

自分が元気でいることを知って欲しい。社会とつながっていたい。何か人の役に立ちたい。
そんな思いから、自分の現況や経験、考えを発信することに至りました。alsになっても私は私。社長を辞めても私は私。何も変わりません。

自分の考えを書いていくにはもうひとつ理由があります。自分の子供のためです。
自分の子供たちも大きくなったら、これを読む事で、パパの生き様を伝える助けにもなれば書いていく意味があると思います。

ちなみにこの文章は、まだわずかに動く、右手の指先で特殊なボタンを押すことで、私自身が作成しています。テクノロジーの進歩によって、身体が動かず呂律の回らない私でも、思いを自分の手で発信出来ます。良い時代に生まれました。

頑張って更新します。

恩田聖敬

◆筋萎縮性側索硬化症とは?
筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気です。最終的には自発呼吸が出来なくなり、人口呼吸器をつけないと死に至ります。しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)だけが障害をうけ、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていきます。その一方で、体の感覚や知能、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通です。原因不明、効果的な治療法は確立されていません。(難病情報センターHPより抜粋)


この記事は、岐阜フットボールクラブ前社長、恩田聖敬氏のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2016年1月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。