私は25歳で、京大大学院生からゲームセンターのスタッフへ就職しました。
お会いするほぼすべての方に「なんで???」と言われます(笑)
しかし理由は、研究者よりサービス業がやりたいと思ったからだけです。
自分が本気でやりたいと思ったら、過去の積み上げはあっさり捨てられる。
これは自分の長所かなと思います。肩書きは消えても、経験は消えないので大丈夫です。
だから何の迷いもなく、片道切符でFC岐阜に来ました。
面白そうだったんです。
「仕事はうまくいかないのが前提、うまく行かせるために仕事をする。」
「現実の自分と理想の自分のギャップを埋めるのが仕事。」
私が働く中で教えられたことです。
10年前より5年前、5年前より1年前、1年前より今日の自分の方がマシです。
それは、仕事を全力でやってきたから成長出来たんだと思います。
私はまだ10年ちょっとしか働いてない若輩者です。
しかし、今の私が新卒の私を見たら「あたま悪っ‼︎」と思うし、
5年前の私を見ても「コイツ、どうしようもないな、、、」と思うでしょう(笑)
FC岐阜に来るまでも、来た後も、しんどい事いっぱいありました。
曲がりなりにもしんどい事に向き合ってきたからこそ、過去の自分をちっぽけに見る事が出来るんだと思います。
私はこれからも「理想の自分」に近づきたいと思います。
だから私は社長の次の仕事を探します。出来ることはあるはずです。
仕事を紹介してくれる方、大募集です!
仕事したい人が、仕事出来る世界になればいいなと思います。
恩田 聖敬(おんだ・さとし)
1978年(昭和53年)岐阜県生まれ。京都大学大学院卒業後、2004年複合レジャー施設「JJ CLUB 100」を運営するネクストジャパンに入社。2009年には取締役就任。その後グループ会社であるアドアーズの常務取締役として全国のゲームセンター店舗を回り、希望退職を実施し、大規模な改革を行う。親会社のJトラストでM&A等を担当した後、14年4月に岐阜フットボールクラブの代表取締役社長に就任。サービス業の経験と、会社管理の経験をフルに活かし、サッカービジネスにエンターテイメントの要素を導入も、社長就任と同時にALS(筋委縮性側索硬化症)を発症。病を公表後も社長業を続投したが、15年11月末の公式リーグ最終戦を以って病の進行により、止む無く社長を辞任。
この記事は、岐阜フットボールクラブ前社長、恩田聖敬氏のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2016年1月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。