日々の糧の労働から解放される日 --- 長谷川 良

産業のロボット化(独 Roboterisierung)とデジタイズ(独 Digitalisierung)で西暦2020年までに約200万人の新しい仕事が創造される一方、700万人が職を失う。増減を差し引くと500万人が仕事を失うという結論が「世界経済フォーラム」の調査結果で明らかになった。オーストリア日刊紙プレッセが18日、経済面で一面を使って報じている。

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▲無限の宇宙(NASA提供)

この予測は350の世界的企業のトップ・マネージャーへのインタビューを通じてまとめられたという。「第4産業革命」は500万人の職場が無くなるというショッキングな予測となったわけだ。

工業製品の生産分野ではロボットの導入で労働者が減少する傾向は既にみられるが、管理、事務職も遅かれ早かれリストラの運命に直面するかもしれない。

人間に激しい労働を強いる工業生産分野でロボットが代わって働いてくれることは朗報だが、将来、人間は何をすればいいのだろうか。どのような労働が残されているか。医療分野でもロボット化が進むだろうし、高齢化で需要が増える看護分野でも程度の差こそあれロボットが代行できるようになるだろう。

ちなみに、当コラム欄でスウェーデンに本部を置くシンクタンク「グローバル・チャレンジ・ファンデーション」が公表した「人類滅亡12のシナリオ」(2015年2月24日)を紹介したが、10番目に「Artificial Intelligence」が挙げられている。人工的知的存在、すなわちロボットが人類を逆に支配する危険が指摘されているのだ。

産業工業分野でのロボティクスの飛躍は目覚ましい。仕事を失った人間はベランダで日なたぼっこをしているとロボットが本当に人類を滅亡させるのではないか、という懸念が生まれてくる。

そこで、日常の糧を得るための不本意な労働から解放された人間は何をするかを考えてみた。衣食住はロボットに任せるとすれば、人間は何をするだろうか。理工系の人間ならば。自分を世話するロボットとチェスをして人間の威厳を取り戻そうとするかもしれない。しかし、チェスでも囲碁でも人間を凌ぐロボットも出てくるだろうし、車が大好きな人間ももはや自分で運転する必要はなくなる。F1レースで人間のドライバーがいなくなるのは時間の問題だろう。

理科系の人間に代わって文科系の人間が再び台頭してくるかもしれない。人間はなぜ生まれ、人生の目的は何か、などを考えざるを得なくなるからだ。小説を書く人間が増え、絵画に没頭する人間が出てくるだろうし、世界を歩き、紀行文を書くかもしれない。神はいるかどうか、考え出す無神論者が出てくるかもしれない。

生産性に乏しいという理由でこれまで日陰の生活を余儀なくされてきた文科系の人間が俄然生き生きしてくるかもしれない。全ての人間は哲学者にはなれないが、生産性を至上命令として機能してきた産業構造が無くなると、人は労働に追われ忘れてきた思考を愛するようになるかもしれない。

多分、ロボットに日常必需品の生産を任せた人間は生産性を考えることなく、自分に合った分野を見出すだろう。換言すれば、人間は趣味を見つけ、生きていくのではないか。「未来は趣味の世界だ」と予言していた宗教者がいたことを思い出す。

旧約聖書の「創世記」によれば、人間の始祖アダムとエバが堕落したため汗をかきながら日々の糧を得なければならなくなったが、その強制労働から解放される、なんと喜ばしい事だろうか。とここまではいいが、この夢も人間の衣食住が保証されたら、という前提がある。

人間が趣味に時間を費やすことができる為には、ロボットなど生産施設を独占する一部の人間と、生産手段を有さない大多数の人間との間の平和な和解と了解が必要となる。それがうまくいかないと、生産手段所有者との紛争が避けられなくなる。人類の歴史はその紛争の繰り返しだった。人類が本当の趣味の時代に入るためには富の公正な分配が実現されなければならない。さもなければ、人間が闘争している間に今度はロボットが覇権を掌握してしまうかもしれないのだ。

いずれにしても、人類が強制労働から解放され、各自がその能力を如何なく発揮できるようになれば、どのような輝かしい文化が展開されるだろうか。幸い、宇宙は人類の能力を発揮する舞台としては十分すぎるほど広大だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年1月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。