民主党は維新の党との合流を承認するとともに3月の合流時に他の野党にも結集を呼びかける方針を固めたそうだ。
しかし、小沢一郎が参加した党がこれまでどうなったか知らないわけであるまい。そして、みんなの党と維新の党に参加しながら、それを壊して泥沼化させ、第二の小沢一郎といわれるのが江田憲司ではないか。その二人がキーパーソンであるこの党が長く続くはずあるまい。
私の意見は、民主党はアメリカの民主党のようにリベラルから穏健左派までの党であるべきだということだ。国際的に普通に使われる定義では社会主義者は穏健であってもリベラルとはいわない。ブレア元イギリス首相などは、社会主義者でなく中道派のリベラルに近いと労働党内では批判されてきたのだ。
社民党は社会主義ではあるが西欧民主主義を絶対的に擁護する左派政党であるべきで、共産党とも民主党の保守派とも一線を画すべきだ。共産党は一時的でなく、将来ともにはっきりソ連東欧型社会主義と縁を切る決断をしてから政界再編に参加して欲しい。
権力欲や政治資金ほしさにで、いずれ解党しそうな党が自民党に対抗する第二党にはなりえないだろう。今回の新党は、共産党や小沢一派と野合すべきでないと懲りる学習機会になるであろうことだけしか意義がない。
ところで、今回の議論を聞いていて、若い人はもちろん、そこそこの年齢の人でも安保法制のころから急に政治に興味をもった人は、過去の小沢一郎の行動を知らない人が多いのに驚いた。以下は数年前に私が書いた「本当は誰が一番?この国の首相たち 」(ソフトバンク新書)のなかで紹介した小沢の政治遍歴に最近の動向を書き加えたものだ。
①田中に可愛がられながら竹下の旗揚げに参加し(1985年)、②金丸側近でありながら最後は見捨て(1992年)、③離党して新生党をつくり(1993年)、④公明党や民主党を巻き込んだ新進党を発展させたが(1994年)、⑤これを解体し(1997年)、⑥自由党を結成して保保連合政権に参加したが(1998年)、⑦連立離脱を決めて反対した議員を保守党として切り離し(2000年)、⑧民主党へ合流(2002年)、⑨野田内閣の消費税引き上げに反対して民主党を離党し、「国民の生活が第一」の代表に(2012年)、⑩同年、嘉田由紀子を党首とする「日本未来の党」に合流、⑪嘉田を追放し自分が党首となり「生活の党」に改称(2014年)、⑫同年、山本太郎を入党させ「生活の党と山本太郎となかまたち」に、⑬民主党と維新の党が合併した新党の乗っ取りを策す?(2016年)
小沢一郎論は、また、別の機会にしたいが、かつて話題になった著書『日本改造計画』に示された「ぶれない」姿勢と、現実の変幻自在な行動、また、著書で示された著書で示された対米従属新自由主義的な政策と、その後の反米で共産党とまで組もうという左翼指向は、同じ人の物とは思えない。
八幡和郎 評論家・歴史作家。徳島文理大学大学院教授。
滋賀県大津市出身。東京大学法学部を経て1975年通商産業省入省。入省後官費留学生としてフランス国立行政学院(ENA)留学。通産省大臣官房法令審査委員、通商政策局北西アジア課長、官房情報管理課長などを歴任し、1997年退官。2004年より徳島文理大学大学院教授。著書に『歴代総理の通信簿』(PHP文庫)『地方維新vs.土着権力 〈47都道府県〉政治地図』(文春新書)『吉田松陰名言集 思えば得るあり学べば為すあり』(宝島SUGOI文庫)など多数。
編集部より;この原稿は八幡和郎氏のFacebook投稿にご本人が加筆、アゴラに寄稿いただました。心より御礼申し上げます。