東大入試の現国の問題が話題になっているが、松本さんも指摘するように問題文も設問も意味不明だ。こんな悪文を出題した文学部(たぶん国文科)の教師は、「戦争法反対」のデモに参加しているのだろう。
国文科は昨今の「文系学部不要論」で不要とされている学科の筆頭だが、そういう教師ほど劣化するのは偶然ではない。国文学の能力には客観的な業績評価の尺度がないので、自分の弟子を引き上げる傾向が強いからだ。
それがもっともひどかったのは早稲田で、昔は法学部の教師はすべて早稲田出身だった。法学部の劣化が激しいのは早稲田だけではなく、昨今の安保法制をめぐる議論で、東大法学部の石川健治教授(憲法学)が「安保法案は安倍政権によるクーデターだ」と断言したのには驚いた。
このように文系の教師が劣化する原因は、徒弟修行で後継者を育てるため、親分子分の関係が強いからだ。同じ構造はマスコミにもみられ、長谷川煕氏もいうように、朝日新聞は社会主義的な傾向が強く、反権力的な記事を書かない記者は地方支局を転々とする。
両者の共通点は、業績が定量的に評価できないということだ。普通の企業なら売り上げなどの指標があるが、大学もマスコミも金を使う仕事で、ビジネスは知らない。学問の世界でも、客観的な業績評価のできる自然科学は実力主義になり、社会科学でも経済学はそれに近いが、文学部や法学部はコネ社会だ。
これが左翼教師・マスコミがいつまでも残る原因である。法学部でも、戦後の第一世代の南原繁や丸山眞男は一国平和主義者ではなかったが、その弟子は先生に迎合して左傾化してきた。マスコミでも、人事を通じて左翼的なバイアスが再生産されてきた。
早稲田の鎌田総長が「大学入試を人物本位に」というのは、日本中の大学を早稲田のような徒弟制度と情実入試にしようということだろう。このような長期雇用と年功序列が、日本の左翼が一国平和主義から脱却できない原因だ。労働市場の流動化は、こうしたガラパゴス左翼を追放する上でも重要である。