結婚しない若者たちの共通する意識は何でしょうか?自分のことで手いっぱい、というのはあるでしょう。しかし、一定の収入と楽しい生活をしている人でも案外できないが「彼氏、彼女」であります。出来ないのか、作ろうとしないのか、といえば私は気持と行動が伴わず、最後は「うざく」なるのだろうと思います。
私はこのテーマはずっと気にしていました。そこでチャンスがあるたびに「なんで結婚しないの?」と結婚相談所の世話焼きおじさんのような素振りでいろいろ聞いてみたりしていました。私の知り合いが5-6年前に「婚活ビジネス始めます!」と言ってまるで畑違いの仕事に手を出して大丈夫かな、と思いましたが、止めるのも早く、さっさと撤退してしまいました。ビジネスとしての標準化が難しいのでしょうか?
女性に理想は、と聞くと「安定的な仕事、自分より高収入、平均より上の『見てくれ』、優しい、自分より精神年齢がしっかりしている人」などが声としての共通項でしょうか?今だに「サウジの王子様」という人もいるのですが、この原油安では安定感はない気がします。最近やけに多い不倫の話はこの辺りに一つのヒントがありそうです。同世代の男が頼りないから精神的に安定している年上の人に憧れる、ということでしょうか?
一方の男性ですが、「そもそも興味がない」とにべもありません。自分なりに生活の糧として一定の仕事をして自分の時間をひたすら愉しむことでよいそうです。その愉しみとはオタクのような趣味かもしれませんし、もっと自己研磨に勤しむ人もいるでしょう。女性の我儘をイチイチ聞いているのは面倒くさい、というのがありありと出ています。
TBS「噂の東京マガジン」の「やってTRY」は街中の若い女性にその場である料理を作ってもらうという企画ですが、何度見ても本当にびっくりポンであります。先週のサバの味噌煮を作るのにサバを丸ごと鍋に放り込んだお嬢様が特別酷いわけではなく、13人やって1人しか作れなかったその結果にポイントがあります。
昔、短大卒とは立派なお嫁さんになる教育ステップの一環と一部でささやかれたことがあります。「深く専門の学芸を教授研究し、職業又は実際生活に必要な能力を育成する」(ウィキ)という短大の目的がその理由かと思います。2年で料理、家事、お茶にお花を含めた社会人になるための教養を身につけるということだったと思いますが、今の時代にそんなこと言えば大変な騒ぎになるでしょう。
男女平等は今までの夫婦間の助け合いの関係が崩れ、共に自分の足で生きなくてはいけないという意識を芽生えさせました。その上、日本ではコンビニや惣菜やなどおひとりさまライフに全く困らない仕組みが出来上がっています。もともとは高齢者向けの商品開発発想だったと思いますが、会社の帰りにおかずをいくつか買えばそれで結構おいしいライフを過ごすことが出来ます。
ではコミュニケーション。家族の絆のもう一つの重要な意味は会話でした。が、今の人はこのコミュニケーション能力が欠如しています。理由は携帯やスマホのテキストによる「事実のみの短文による伝達」であって説得するとか、議論するのは完全に習得不足となっています。会話できないのですから、気のあう仲間とLINEで表層の会話をする方が楽に決まっています。
更にそれを推し進めるのがシェアライフです。これは所有から必要な時に必要なモノだけ借りるという便利極まりない発想であり、世の中は今後、これが大きく進化するはずです。2月29日の日経には社説として「日本でもシェア経済を根付かせたい」と謳っています。
これらは結婚をより遠ざける世の中になるともいえます。バンクーバーに「隣組」という日系のNPO団体があります。ある年配の方が「この名前は嫌な思いがするから嫌い」とおっしゃったのですが、意味するところは戦時中、苦しい時は皆で力を合わせて頑張った、ということであります。家族はその核の部分でありますが、それが今、崩壊しつつあるということです。
少子化大臣が本質的で学術的な背景をもっと探求せず、子供の世話を面倒見てくれる施設の充実といった目先の対応に追われている点は手落ちだと言ってよいでしょう。世の中で何が起きているのか、もっと探求しないとこのままでは我々の知った時代からは想像もできないとんでもない世界が展開してしまいます。
では今日はこのぐらいで。
岡本裕明 ブログ外から見る日本、見られる日本人 3月6日付より