悪魔のPCには消却機能がない! --- 長谷川 良

世界12億人の信者を抱える世界最大のキリスト教宗派、ローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王フランシスコは4日、「神は記憶しない」(Gott hat ein schlechtes Gedachtnis)という内容の説教をした。簡単に説明すると、人が罪を犯したとしても、心から悔い改めるならば、神はその人の罪を全く忘れてしまうというのだ。そして教会が信者に提供する日曜日のサクラメントはその秘跡をもたらすというわけだ。

イエスは2000年前、人の罪を背負って自身が十字架で亡くなり、3日後、復活する。キリスト教会はその「復活したイエス」を信じることで人の罪は清算されると主張してきた。
 
上記の内容をその通り信じれば、地上は既に天国となっていなければならない。実際は、誰もが目撃しているように、21世紀を迎えた今日も、ひょっとしたらこれまで以上の悲惨な状況が地上に繰り広げられている。

神は我々の罪を忘れていないのではないか、という不信が現代人を悩ます。神は人の罪を忘れるのに、人は罪が余りにも簡単に許されるので、許されることの恩恵の価値が分からなくなり、罪を何度も繰り返しているのかもしれない。赦される故に、罪は清算できなくなっている、といった矛盾した状況が生まれてきている、等のさまざまな思いが錯綜する。

もちろん、神は全知全能だから、人の罪を忘れることができるが、絶対に人の罪を忘れない存在がいる。すなわち、聖書でいう「悪魔の存在」だ。悪魔は人がいつ、どこで、何をしたかを全て覚えている。そのマインドパレスは名探偵シャーロック・ホームズが対抗できるようなものではない。巨大な記憶宮殿だ。「エデンの園」から今日まで何があったかを全て覚えている存在だ。

神は自分を信じようとする人間に対し、「君の罪を許す」と約束すると、悪魔が出てきて、「神よ、彼は罪が許されたあとも同じような罪を繰り返しています」と神に讒訴する。神は許し、悪魔は讒訴する、といった具合だ。神は消却機能を有するコンピューターを駆使する一方、悪魔のコンピューターは消却機能はなく、記憶機能だけが恐ろしいほど発展しているのではないか。

欧州の知識人は久しく神の存在を追及してきた。啓蒙思想時代に入ると、神の存在は影が薄くなる一方、人間の知性重視の思考が主導権を握ってきた。多くの知識人は、「神はいない」「神は死んだ」という結論を下し、もはや教会に一瞥すらしなくなった。史的唯物論の共産主義世界が崩壊した後も神の時代は到来せず、世俗化社会が広がり、教会の権威は失墜し、神は文字通り死んでしまったような世界が出現した。

われわれは「神の存在」を久しく追及してきたが、神を見失ってきた。その最大の原因は神の存在を追求するあまり、その傍で冷笑している悪魔が存在することを完全に忘れてきたからではないか。21世紀は神の存在を追認する以上に、悪魔の存在を認知することが急務ではないか。悪魔の存在が分かれば、われわれの罪を許してくれる神がどこに存在するか自然と分かるのではないか。

21世紀の神学は神を証明するのではなく、「悪魔の存在」を先ず証明すべきだろう。神は我々の罪を全て忘れてしまうのため、その痕跡を辿ることが難しいが、悪魔は全てを記憶している。それゆえに、悪魔の痕跡を辿る作業は本来、容易なはずだ。消却されたデータを呼び戻すのは大変だが、記憶されたデータを再現するのは簡単であるようにだ。「悪魔の存在」を証明すべきだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年3月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。